地理学者が哲学に目覚めたら最強だった説

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

6 風土学と断舎離の共通点と相違点

断舎離と風土学 断舎離思想(不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想)の創始者の山下英子さんは以前、テレビ番組に出演して「問題なのは持ち物の多少ではなく、自分と物がいい関係を築いているかどうか」「自分がひとつひとつの物をどこに置き…

5 生きている感覚を取り戻す方法 -3

若者の消費行動の変化 現代日本に暮らす僕たちにとって物との最も身近な関わり方といえば、何よりまず「消費」だろう。 消費者は僕たちの経済の主役の一つであり、経済活動は日本社会の舵を握っている。 この消費にまつわる若者の行動が近年明らかに変わって…

4 生きている感覚を取り戻す方法 -2

現代の日本人の病の治療方法 前記事の引用でベルク氏は「世間は具体的なものだ」と言った。 かつての世間は、日本人が暮らす集落のような共同体であった。 現在、都市などで暮らす僕たちの生活はグローバル化しており、隣近所すら顔の見える関係にはない。 …

3 生きている感覚を取り戻す方法 -1

日本人が失った体 前記事で引用した『富士山登頂記』の著者の角幡さんは、彼が日本人に見出した「身体性の喪失と生感覚の無化」(『探検家、36歳の憂鬱』 p.160)という病は「時代による影響をもろに受けている」(同書 p.153)と言う。 角幡さん(30代)の…

2 生きている感覚を探し求める日本人

「富士山登頂記」が語る現代日本人の病的な気分 (このエッセイを含む角幡唯介『探検家、36歳の憂鬱』(文藝春秋、2012)を引用する経緯については前の記事を参照) 私は自分がある種の病気であると思っている。そして申し訳ないが、あなたもある種の病気で…

1 物と自分の関係

物は人間の体の一部だから…何なのさ? 僕たちは僕たちの環境や物(じつは客観的な対象ではなく自分と連なった「風土」)をどのように扱うべきか、ということについて、僕が本書の観点から言いたいことはたくさんある。 しかし『風土学序説』でももちろんベル…

13 「近代思想は是ではない」のなら、何が是なのか

「実存する」が意味すること 前記事の最後の引用に出てきた、またこれまでも何度か出てきたが、人間が「実存する」(原語に依拠して訳すと、「外に立つ」)とは実際どういう意味なのだろう。 本書に従って簡単にまとめると、人間は自分の体を拠点に直接/間…

12 体の外に出るとか物を体に取り込むとか…VRかよ!

環境と自分の体のイメージは変わりました? ここまでの記事で僕が言っていることは、どうだろう? 納得できるだろうか。 突飛すぎてちょっとイメージしづらいんじゃないだろうか。 そんな、きっと読者に抱かれるだろう感想を代弁して、記事のタイトルをつけ…

11 風土性は人間性の原点である -2

人間は自分の感覚と他人の感覚(とその他の何か)の接点を探そうとする生き物である 前の記事で述べたことをまとめると、どうやら人間は自分の感受性を自身の体外まで、「わたしたちが足を踏みいれることもないような場所での事件」についてまで何かを感じら…

10 風土性は人間性の原点である -1

「風土性は人間の実存の構造契機である」とは? 前の記事で引用した、ベルク氏が和辻氏から引き継ぎ独自に発展させた風土性の定義は、以下のとおりである。 p.223 人間の身体が二つに分かれ、わたしたちの動物身体の中心の存在が、わたしたちの世界の地平の…

9 風土性とは人間特有の世界観である

風土性(メディアンス)とはなにか 前の記事では、僕が『風土学序説』から読み取ったベルク氏による人間固有の性質(仮説)の解釈を述べた。 ベルク氏はこの人間固有の性質を風土性、フランス語でmedianceと名づけた。 先に本書に沿って説明してもよかったの…

8 地理学者による人間性についての仮説 その1

地理学者による人間の定義(特徴1) ベルク氏は各方面の専門家の研究成果を総合して、ある仮説を立てた。 その仮説とは 人間とは、人間として覚醒しているときは常に、自分の認識する事物(環境)すべてを、あたかも自分と他人で共有している体であるかのよ…

7 「風土」と人間の肉体

認知科学の発展を助けた現象学 生き物の身体に感覚がそなわっているのは当たり前のことに思える。 しかし、これが言うまでもないほど当たり前であったせいか、前に挙げた西洋近代の諸思想はこの事実をないがしろにして、かつ身体は物体であるというこれまた…

6 人間は世界を体内にとり入れる

人間は①自分の体から環境へと伸びる、さらに②その環境を自分自身へと取り込もうとする 人類学者ルロワ=グーランは前述のとおり、人間の技術体系や象徴体系を「すべての器具を人間の外に押し出そうとするプロセス」と呼び、その発展を「社会的な身体」の進化…

5 人間(主体)と環境・物(客体)という世界観

文明の発生 前の記事で引用した部分でベルク氏は、歴史上の「風土」の発生プロセスは3つのプロセスの同時進行としてとらえられると言った。 p.170 わたしたちの祖先は、人間という種が霊長類から誕生するプロセスそのものにおいて、技術と象徴を発明したので…

4 人間にだけ「風土」がある理由 -2

人類学者の学説を手がかりに 人の胎児から乳幼児へかけての成長過程が人類の進化をなぞっていることは、科学的にも観察されている事実である。 ベルク氏は先の記事で述べた「具体性」を裏付けるために、フランスの人類学者アンドレ・ルロワ=グーラン(1911-…

3 人間にだけ「風土」がある理由 -1

環境と「風土」 拙ブログで「風土」について説明する際、最初に述べたことを改めて述べるが、あらゆる生物は環境に囲まれている。 生物の一種である人間にも環境がある。 しかし、人間と環境の間だけには「風土」という関係性がある。 つまり環境における諸…

2 和辻哲郎『風土 人間学的考察』と『風土学序説』

『風土学序説』の要旨は、思想家・和辻哲郎から受け継がれた p.4 存在の普遍性とその地理的な表現の独自性の〈総合〉を初めて試みた人は、有名な著書『風土 人間学的考察』(昭和十年)を著した和辻哲郎である。わたしは思想的に和辻から強い影響を受けてお…

1 ここからが拙ブログの本題である

ここまではまだ拙ブログの前説である 拙ブログにおいてこれまで僕は『風土学序説』の内容をできるだけ曲げずに、拡大解釈しないよう、かつ常識はずれな言い方をしないよう気をつけながら「風土」を紹介するよう努めてきたのだが、あなたはどう感じただろう?…

10 もしも杉並区を「風土」としてとらえたら

この記事を書いている2017年12月初旬、僕はある報道を耳にした。 (僕は事情により、投稿の時期よりかなり前の時点で記事を書いている) 報道でとりあげられた問題が、物事を「風土」としてとらえるとはどういうことか、それがなぜ現実的に妥当するのかを示…

9 「風土」は地域性という概念の核心を指す

物の風土(ミリュー)はある場にいる人間集団に独特な物の見方である 前の記事で述べたが、ベルク氏によると物とは下の図のとおり、その風性でおおわれており、その中に科学的に明らかにされてきたその土性があり、さらにその奥底に認識不能な部分が潜んでい…

8 「風土」は物事の構造を表す

「風土」という物の姿 ここでやっと、以前に出した問題に戻る。 トポス(物の物質的な場所)とコーラ(物が存在する関係の網の目、人間も多数参加している)が重なって、現実(たとえばこの鉛筆)が実現する。 その鉛筆には実は、人間に認識され得ない側面も…

7 人間が物を把握しきれない理由 -2

僕たち人間には、たとえ科学技術がどんなに発達しようとも物について認識できないこと、すなわち「覆われた実在」「物の真の本性」が残る、とベルク氏は主張する。 そのいまひとつの理由は、可能性の問題ではなく、理屈上の問題である。 主語論理 ベルク氏は…

6 人間が物を把握しきれない理由 -1

理由①科学理論上、限界があるから 『風土学序説』でベルク氏は、 アインシュタイン、ジャン=フランソワ・ゴーティエ、ミシェル・カセといった科学者たちによる宇宙論 情報アルゴリズム理論AIT(複雑性を測定する理論) ベルナール・デスパーニアの量子物理…

5 日常の目線で見た「この鉛筆」

僕たちは必ず文明を通して物を把握する トポス(物の物質的な場所)とコーラ(物が存在する関係の網の目、たくさんの人が参加している網の目)が重なって初めて現実(たとえばこの鉛筆)が現れる。 この重なっているということは何を意味するのだろう。 あな…

4 地理学者から見た「この鉛筆」

地理学者の説明はプラトン風 p.162 それではわたしたちの鉛筆のコーラとはなにだろうか。コーラについて考える場合には、生成として考える必要があること、固定された同一性としてではなく、なにか生まれ出るものとして考える必要があることを思い出そう。こ…

3 天体物理学者から見た「この鉛筆」

天体物理学者の説明はアリストテレス風 であるとベルク氏はいう。 p.161 アリストテレスであれば、鉛筆のトポスは、その動かざる外形だというだろう。鉛筆の外形が、その存在の境界を定め、限界づける。この定義から、物の同一性についてのアリストテレスの…

2 2種類の学者が物を説明するとしたら

現実にある物はどのように説明できるか? (例)鉛筆 現実の多様性を研究する学問・地理学に携わるベルク氏は、現実の事物は具体的に扱うべきであること、要素を抽象してその具体性を消して扱ってはならないことを強調している。 もしこの現実を具体的にとら…

1 「風土」エクメーネまたはミリュー

環境と「風土」 「風土」は環境に似たところのある概念であるが、両者はどのように異なるのだろうか。 p.218 和辻哲郎(1889-1960)は『風土 人間学的考察』において、初めて人間の風土(ミリュー)と自然の環境をはっきりと区別した。 「初めて」とは、史上…

4 『序説』の序 -4

序文の注意書き 『風土学序説』の序文でベルク氏は、本書で近代的な視点を疑い、それに代わる視点を築こうとしているのだという姿勢を示す。 p.21 実のところ、存在の地理性を考察することによって、人間科学であたりまえのように前提されてきたいくつもの基…