地理学者が哲学に目覚めたら最強だった説

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

4 『風土学序説』ってどんな本? -2

新しい視点で現実を見直す

もし『風土学序説』を理解すれば、たとえば次に挙げるような疑問を、その新しい視点から見直すことができるようになる。

  • 自分のまわりでは物質的な豊かさばかり追求されて精神的な豊かさがなおざりにされている気がする。なぜだろう。どうしたらいいだろう。

  • 海外には戦争や貧困で苦しい生活をしている人がいる。そして僕たちの豊かな暮らしは、彼らの困窮と無関係ではないことを知っている。しかし自分と彼らの間にはたとえば国家間の貿易協定のようなルールが介在している。自分の行動を変えればこの状況が変わるとは思えない。

  • 経済第一を是とするこの社会はどこか間違っていると思う。自分と、同調してくれる仲間だけでもその潮流に流されないような生き方をしたい。しかし同時に、資本主義経済から完全に独立して暮らすことの難しさも理解している。

  • 今の時代、都市で暮らすより田舎に移住した方が生活の質を高められるのだろうか。しかし田舎の生活は不便である。

  • 田舎では人間の生活が鳥獣から被害を受けている。しかし野生動物の駆除には規制が敷かれ、たとえ合法に駆除をしても動物愛護団体のような人々から非難されることがままある。人間の生活を守ることと、自然保護のどちらを優先すべきか。

  • 人間性とはなんだろう。人間は生物であり物体でもあるが、人間と人間以外の生物とは、生物と非生物とはけっきょく何が違うのだろう。

  • 技術の発達により人間の可能性は大きく拡がったが、人間はどこまでその力を行使することを許されているのだろうか。人間が神の領域に踏み込むことは許されるのか。許されないとすれば、それはなぜか。

  • 現在のような大きな人口で環境負荷の大きい暮らし方をしていたら地球の資源が枯れてしまいそうだ。人間は原始時代の暮らしに戻るか、負荷が問題なくなるぐらいまで人口を減らすべきではないか。ただし自分や自分の家族は必ず生き残る方に入りたいが。

  • 仕事において努力し続けてきても、大きな災害が起こったりすれば努力していた人もしていなかった人も等しく財産を失ってしまうだろう。このような世の中で努力することに意味はあるのか。

  • 仕事らしい仕事をしていなくても大金を手にしている人もいれば、非正規に雇用されて勤労し貯金もできない人もいる。このような世の中で努力することに意味はあるのか。

  • 旬を感じるような生活は伝統に通じすばらしいと思う。しかし季節や場所にとらわれずに自分の欲求がかなう生活はやはり便利で心地よい。

  • 大型スーパーマーケットが進出した地方の商店街は寂れる。確かにわびしいものだが、大型スーパーマーケットの方が旧来の商店よりも消費者にとって品揃えや価格の点で魅力的なことも事実だ。このような経済の移り変わりは、良いことなのか悪いことなのか。

  • 戦争を経験していない世代が、先代の戦争の記憶を受け継ぐ理由の根拠は何か。自分たちの経験していない戦争と(もうほとんど生き残っていない)先代やその対戦相手のことを、どのようにまたどの程度意識して現行の生活を送るべきか。

  • どうして戦争はなくならないのだろう。

  • ほとんど会ったこともない相手と結婚するのが当たり前だった時代と、結婚相手を選ぶ機会が本人に与えられているのに晩婚化が進む時代。どちらの風潮が人にとって好ましいのだろう。

  • どうして人は期せずして恋に落ちるのだろう。恋と愛はどう違うのだろう。

  • どうしてあの人は自分の話を聞いてくれないのだろう。自分の態度がなにか悪いのか、あの人の頭が悪すぎるのか、その両方か。

  • どうしてあの人は自分は聞く耳を持たない態度で話してくるのだろう。こちらの意見を聞き流して自分の意見ばかり言うので話をする意味がない

  • どうして子どもはおとなの言うことを聞かないのだろう。

  • 日本ではいじめの問題がエスカレートしている。同質であることを重んじる日本人独特の気質がいじめを招いているというが、昨今のいじめ問題は昭和以前の時代よりも明らかに根深く解決しがたい。この問題は日本人の気質だけではなく、他の要因にも依るのではないか。

  • いろいろな経験を積んで、なんでも当たり前に思えるようになった。ホラー映画や超常現象に興味があって本や映画を見るが、だんだん飽きてしまう。昔は不思議なことがたくさんあったような気がするのに。

  • 自分には他の人と感覚(五感、霊感の有無、〇〇恐怖症、価値観 等)に異なるところがある。自分にはどうしてもそう感じられるのに、他の人には理解されがたい。こうして感じられることは客観的根拠のあることなのか、自分の主観(たとえば気の迷い)によるところなのか。

  • 僕の僕らしさ(または私の私らしさ)とはどういうことだろう。この社会で自分らしく生きていくとは、どうしたら実現できるのだろう。

  • ちまたには大量のノウハウ(ハウツー、生活上の工夫、ライフハック、たとえば健康法)が出回っている。そのどれもが一理あり、しかしその正反対の意見にもまた一理あったりして、一体どれが現実的に妥当するのか判断がつけ難い。本当に正しい情報を見分けたい。

  • 現実は因果関係で説明できたりできなかったりする。なぜこんなに複雑なのか。複雑なりに理解できないものか。

  • この世で起きることは偶然なのか、必然なのか。

  • 哲学に興味があるが、実存や存在論という言葉の内容を具体的にイメージすることができない。実存するとは何をどうすることだろう。

客観的な事実と人間の心持ちの両方が関わっているゆえにすんなりとは解決しがたい問題を、思いつく限り挙げてみた。
上以外にも、無数にあると思う。
前記事で述べたような人間の現実には、このような問題が無数にある。
そして本書が提示する視点を理解すれば、そのような問題がなぜ/どのように起こっているかを、その視点から理解しなおすことができる。
このような問題に対する見解は人によって異なるが、その視点から見れば、その違いを含めて普遍的に通用する(時代や地域や個人差等を超えた)道理が導かれる。
ただし、問題が解決されるか否かは、その先の話になる。
問題を病気にたとえるならば、症状しかわからなかったことに対して(病気の)専門家の観点からは客観的な原因を特定して診断を下すことができる、ただし治療できるかどうかはその先の話、ということに似ている。

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つまり現実の認識のしかたが変わります。

そして本書はそのような視点というテーマを、学問の手続きで検証している。
本書は著者オギュスタン・ベルク氏の個人的な経験をもとにしたエッセイではなく、著者が他の学者の学説を参照しながら学術的に行った研究を著した書物である。
だから本書のテーマは、著者の個人的な人生観などではなく、学説の類に入る。

この文章を推敲しているのは2018年1月3日、さっき地上波で初めて映画『君の名は。』(アニメの方)が放映された。
僕も遅ればせながら初めてそれを鑑賞した。
この映画には、本書の内容に関わりをもつキーワードがたくさん出てきた。
しかし、それらキーワードが現実に世界とどう関わるかという解釈は、本書とは少し異なった。
映画の製作者たちがこのような映画を作ろうとしたこと、この映画が日本で大ヒットしたことは、そのテーマに日本人が深い関心を寄せていることを示す。
たとえば人と人の絆は本人や本人たちの世界に何をもたらすのか、伝統はなぜ継承される必要があるのか。
このようなことに関心をもつ人に、本書を読んだ僕からこう言いたい。

僕たちの現実は、客観的な事実だけで実現しているのではない。
また現実で目に見え手で触れられるものは、すべて客観的な事実ばかりではない。
あなたの常識(的な視点)をいったん横に置いて、真に客観的な視点から見えるはずのものとその視点からは決して見えないはずのものを区別してみよう。
そうすれば、現実を生きるあなたの視点が客観的な視点と実際にはどう異なるのか、あなたは本来どこから何を見ているのかが理解できると思う。