地理学者が哲学に目覚めたら最強だった説

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

6 『風土学序説』に興味をもったあなたへ

本書は芳しい評判を得られていない、と思う僕が個人的にその理由だと考えていること

ものを人にすすめる際のマーケティングの重要性が叫ばれる今日において、これももしかすると『風土学序説』が読者に恵まれなかった理由かもしれない、と思ったことがある。

本書の想定する読者がはっきり絞られていないように見える点である。

本書は論文と同じ方法で書かれた学術書である。
すなわち多くの脚注(計544個)と、多くの参考文献に支えられた論述を擁し、学問を旨とする学者や学生でないとなかなか読み難い形をとっている。

もしかすると本書の対象読者は地理学や哲学にかかわる学者や学生で、著者は彼らにその内容を評価され研究が深められることを望んでいたのかもしれない。
そのようなことはこの16年間日本では目立って起こらなかったが。

しかし僕は本書を読んで、本書は万人に向けて書かれたのではないかという感想をもった。
本書は大衆受けしない学術的な形で書かれた本であるのに、その内容においては読者に必ずしも専門知識を要求しておらず、その提言は学者よりむしろ諸々の実務者や実務者へなるであろう若者へ向けられているように感じられたのである。

本書が万人向けの本だと感じた理由①

本書はギリシア哲学に関する論考から始まるが、著者の理論の説明を経て、最後は社会への提言へと向かう。
提言の一例として、

p.378 現代においては建築、都市計画、土地の整備など

の行われる手順に問題があること、それらが

同 わたしたちの子供たちの公民教育の対象となるべきものであり、民主的な討議の対象となるべき事柄である。

と述べられる。
このような主張は、学者だけに向けられているのではないと思う。
学生に向けられた主張ではあるかもしれない。
しかし、あらゆる立場の人へと向けられている可能性は大いにある。

本書が万人向けの本だと感じた理由②

また本文中で著者は一部の学者、すなわち学問の論理ばかりを現実から遊離するほどに発展させて現実的な事象を無視しようとする学者の態度を「基而上主義」(土台をもたない主義)と呼んで痛烈に批判し、著者自身を彼らと対照的に「地に足のついた」学者、つまり学問が成立する現実を常に考慮に入れる学者と措定して自論を展開している。
つまり、自分は頭でっかちな学者ではなく、学者ではあってもどちらかといえば実務者寄りの考え方を支持しており、実務的に世の中の問題に向かう姿勢をもつことを示そうと心がけている。

本書が万人向けの本だと感じた理由③

理由②の帰結するところなのかもしれないが、本書の文体は、その参考文献から引用されるどの文章よりも平易である
学術書だと思って読みにかかると拍子抜けするかもしれない。
著者がハイデガーの書いた文章を意訳した箇所など、あの難文を元にしたとはとても思えぬほど斬新な語り口にされてしまった。

本書が万人向けの本だと感じた理由④

本書の帯には「著者半生の集大成」と書かれている。
僕は、これは本書の内容である学説だけを指すのではなく、それを含めた本書を作る営み全体を指しての言であると思う。

たとえば本書の末尾には、事項と地名と人名、3つの索引がついている。
僕は本書の理解を深めようと本書を読みかえす際、よく事項索引と人名索引を利用した。
これらの索引は、読み直したい箇所を探し出すのにとても便利である。
しかし、地名索引はあまり使わなかった。

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最南端はアデリー海岸(南極)かな

ぼくにとっては本書を理解するためにこれを必要だと感じる機会があまりなく、これが本書に不可欠の項目だとは思えない。
このような項目があるから本書が地誌やなにかと勘違いされたのではないかとも勘ぐっている。

だが地名索引の収録有無は大切なことなので、おそらく著者自身がこうすると決めたのだろうと思う。
だって読んでいるとひしひしと感じられるのだ。
著者が本書をいろいろな人に楽しんでもらえるようにありったけの知識とユーモアをつぎ込んで書いたであろうことが。
本書のあちこちに、エスプリの効いた表現や興味をそそる脱線が見受けられる。
本書は、学術書とそっけない呼称で呼ぶには余計なものをたくさん含み過ぎている。

断っておくが、著者の論点は一貫してはっきりと主張される。
ただその論点を示すたとえ話が一流の地理学者の仕事によって、シンプルにではなくとてもゴージャスに披露されているのだ。

本書のテーマは万人向けであると思う

このように『風土学序説』は、(地理の理解は前提とされていると思うので)義務教育を修了した程度の素養があれば誰にとっても一読に値する読み物であると僕は思う。
そしてまた本書を読んで僕は、本書がテーマとする現実認識に関する考察すなわち哲学や認識論のような考察は哲学者の専売特許ではなく、万人が日々関わっている営みだと思うようになった。
そして本書は、読者がそのような営みを行う方法に実に有効な手助けとなり得ると思う。
前にも述べたが、ベルク氏は実績ある地理学者でありかつ『風土学序説』は彼の代表的な仕事の一つなので、この本はきっとあなたのアクセスできる図書館に所蔵されている。
興味をもった方はぜひ直接、読書に挑戦してみてほしい。