地理学者が哲学に目覚めたら最強だったんじゃないか

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

2 地理学者が新しい学問を拓こうとした動機 -1

『風土学序説』の著者ベルク氏は、新しい視点の確立が必要だと主張する。
それは言い方を換えると

新しい問い方が必要だ

ということである。

以前に本書のテーマは地理学と哲学のどちらにも関わるが、どちらでもまったく問われず論じられてこなかったようなことである、と述べた。

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「地理学から存在論へと架橋」

しかし、実はこの言い方は少し誤っている。
その学問の空隙は、本書からさかのぼること約65年前に思想家・和辻哲郎著『風土 人間学的考察』(1935)によって既に論ぜられていた、とベルク氏は言う
ただ、和辻氏の呈した主張が彼の提示したとおりに理解され検証されることは、その後絶えてなかった
僕は、2018年現在まで、この本で和辻氏の言わんとしたことが理解され検証を加えられたことはベルク氏による研究をおいて皆無だったと考えている。
『風土 人間学的考察』を学説として認めて批判・検証するような論文はもちろん存在するが、本書に比べるとその内容は皮相的といわざるをえない。
このことは、本書を読んでからそれらの論文を読みなおせば理解されると思う。
ベルク氏は、史上初めて和辻の言わんとしたところを適切に理解し、本書で地理学者としてその検証と補完を試みたと思う。
僕がこう考える理由は

  • ベルク氏は和辻著『風土』の解釈にある条件をつけたが、その内容が適切に思えること
  • ベルク氏のつけたような条件のもとにこの著作を解釈しようとした論文が他に見当たらないこと
  • 和辻氏『風土』とそれを検証した本書『風土学序説』の両方において非常に特徴的かつ常識破りな主張がなされていること

である。
詳細は後に述べたい。

ベルク氏は本書の日本版への前書きで、本書の着想を得た経緯を説明している。
以下、前書きを要約しながら説明する。

ベルク氏は『空間の日本文化』(1985、筑摩書房)をはじめ多数の著作を日本で発表する以前から(本書によるとのべ15年間以上)日本に住み、人文地理学者として研究活動を続けてきた。
本書の序文によるとベルク氏は昭和49年から52年にかけて東北大学に在籍し、北海道に関する地域研究を行っていた。
その後ベルク氏は他の職を経て平成11年に再度東北は仙台にもどった際、前の滞在時には時間的な問題でかなわなかった東北研究に着手しようと考えた。

p.6 しかしすぐに、このような研究を始めるのは不可能であることがわかった。大学での教育活動と、本書の著述のために、研究の時間がないだけではない。わたしの気持ちが以前とすっかり変わっていたからである。そのことを理解するには数か月の時間がかかった。しかしこれを理解してからというもの、わたしと日本の関係は一変した。

ベルク氏はこの「数か月」に、それまで自らも不問に付していた問いに、答える術に気がついたのだ。

p.6 日本のひとつの地域を研究することが、わたしにはもはや無意味と思われた。地域研究は、北海道について若いころに行った作業を(若い頃は情熱に燃えていたものだ)反復するにすぎないと感じたのである。それよりもわたしが関心をもっていたのは、日本についてのわたしの経験を活用して、世界についての一般的な問いを、適切な形で提起することだった。そしてわたしにはそれが可能だと思えた。

そのような問い方を思いついた理由としてベルク氏は

  • 初めて日本を訪れた昭和44年に和辻哲郎著『風土 人間学的考察』(昭和10年)を読んだこと
  • その後の日本滞在を通じて、『風土』に示された西洋文化にはない日本人の感覚を理解したこと

を挙げる。

p.4 わたしは思想的に和辻から強い影響を受けており、本書のタイトルに「風土」という日本語を使ったのは、和辻に敬意を表するためである。『風土』はわたしが昭和四十四年の夏に日本を初めて訪れた際に読んだ最初の書物なのである。さらにわたしは実にあわせて十五年以上もの長いときを日本で暮らしながら、日本の風土を研究することで、この問題を知的な意味だけでなく、むしろ感覚的な意味で発見することができた。その意味でも、この風土という言葉で、日本の風土に敬意を表したい。

引用文のとおり、ベルク氏は、和辻氏の『風土』を読んですぐに理解できたのではない。
日本での滞在経験を通じた日本文化の理解が、和辻著『風土』の理解のためにも、この本からベルク氏が想起した問題意識の深化にとっても、重要な役割を果たしたとベルク氏はいう。
その日本文化すなわち日本人の感覚とは、たとえば世間体という日本独特の概念とその背景にある日本人独特の世界観(たとえば物事に白黒をはっきりつけない)などである。
ただし、ベルク氏はその理解にもとづいて日本(人)独特の事情を研究しようとしたのではなく、引用したとおり「世界についての一般的な問い」に取り組もうとした。
だから本書の学説の適用範囲は日本(人)には限られない。
日本民族とて人類の一種であり、その感性は異常なのではなく、人類に共通の範囲内である種のことに強い関心を示す傾向をもつ、という程度の特徴をもつにすぎない。
ベルク氏はそのような日本人独特の感覚をもとに、世界のあらゆる地域・あらゆる時代で共通する、これまで不問に付されてきたある一般的な問いに対して解答を与え得る、普遍的な理論を立てようとしたのだ。

『風土学序説』と日本人

このようにベルク氏は「日本人の感覚を理解したからこのような問い方に気づき、また実践することが可能になった」と述べている。

僕たちは和辻氏の思想を共有していないかもしれないが、やはり日本人全員と本書『風土学序説』は特別な関係にある。
日本人でない人々が本書を読んで感じることと、日本人が本書を読んで感じることとを比べたら、おそらく明らかに違う点があるのだろう。

本書においては、学者の専門的な視点とともに、複雑すぎて明文化し難い「人の(意識上の/意識下の)感覚」が重要な役割を果たす。
この「感覚」を万国共通にくくることはできない。
日本人同士でも当然それは千差万別ではあるが、同じ日本語を使い同じ法制度やしきたりのもとで暮らす一民族として、僕たちはある程度の「感覚」を共有しているはずである。
だから僕は拙ブログの全体にわたり、これが日本人に読まれることを想定して書いていく。
前述した、本書が必要十分な読者を得られていないという問題も日本に限った話であり、本書がベルク氏の本国フランスやその他の国でどのように評価されているかは、外国語に通じていない僕には知る術がないためまったく未知である。
このように、他の国の人たちの「感覚」は推して知ることがかない難いため想定外として、僕は自分もまた一人の日本人であるという視点から日本人全員に向けて拙ブログを書く所存である。