地理学者が哲学に目覚めたら最強だった説

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

3 地理学者が新しい学問を拓こうとした動機 -2

ベルク氏が気づいた「世界についての一般的な問い」とは?

ベルク氏が新しい問いに気づいた経緯は既に説明した。

これが具体的にどのような問いなのか、誰にでも一言で合点がいくよう説明するのはとても難しい。
その説明は『風土学序説』の初めから終わりまで続けられるといってもよい。

ベルク氏は本書の冒頭で2度、本書の要旨を述べているので、まずはそれらを紹介したい。

本書の要旨その1「世界の詩」

ベルク氏は本書の前書き(日本版への前書きに続く、おそらく本書標準の前書き)で、自分が本書を書くという仕事について語る。

p.11 書くことだけが重要なのではない。それよりも人間のすべての営みのいしずえとなり、モチーフとなるものこそが重要なのである。
と。

p.11 いわば、まだ形のなかったものが表現される運動そのものと言ったらいいだろうか。その運動が、この場合は書くこととして実現される。しかしそういう衝動は、書くことのはるか彼方から訪れたものである。

この書物が語っているのはそのことだ ― わたしたちの世界を生みだし、この世界についてわたしたちに語りかける言葉の意味=おもむきを生み出す運動について、そしてその反対に、言葉と、書かれた言葉においてしか、意味=おもむきを探さないことの空しさについてである。

世界とは、具体的にどんな世界か。
地理学における世界か、愛をさけんだ某映画のタイトルのような個人の主観寄りの意味合いを持つ世界か、それともその両方を指しているのか。

「意味=おもむき」に関する説明は前書きにはない。
拙ブログで後に詳しく述べるが、今は、いわゆる日本語の「意味」と同義だと考えてほしい。

あいまいな概念が含まれたままで恐縮だが、上の引用文をできる範囲で解説するならば、 この書物の要旨は、つまりベルク氏の新しい問いとその答えは、
その新しい視点からみえるものは、
この世界で僕たちの用いている言葉が、意味をもつようになる過程(運動)に関することである。

ここでベルク氏は、意味は言葉に最初からあたりまえに宿っているものではない、と主張している。
僕たちの話す言葉の意味はこの世界においてある運動によって生みだされている、本書はその運動について語る、と言っているのだ。

一人の地理学者の著作の冒頭文として、またその著作の親しみやすい日本版への前書きを経た後に続く文章として、これは予想外な、度肝を抜かれるスケールの話である。

世界の諸事物(を表す言葉)はそれぞれ意味をもっているが、その理由とは何だ?つまり
なぜ物事には意味があるのか?

あなたはこの言い回しを何かの比喩だと思うだろうか。
本書は実際には、より小規模な研究に関する話でおさまるだろうと思うだろうか。

しかしベルク氏は本当にこのようなことについて仮説を立てた。
本書でベルク氏は、現代の人文地理学とこれを支える諸学問の理論を駆使して思想家・和辻哲郎の思想を発展させることで人間性に関するある事実を発見し、さらにその発見をもとにして地理学が潜在的に抱えていた理論を具現化した、と僕は考えている。
つまりベルク氏は本書で2つの画期的な学説を唱えている、と思っている。
実際にはそのような話は以前に述べたように和辻哲郎著『風土 人間学的考察』で既に提示されたことがあるため、ベルク氏の発見というのは正確でない。
しかしそう言っても過言ではないくらいに本書は和辻氏の著作の不足を補い、その主張したところを学説として確立するために大きな仕事を果たした、と僕は思う。

さて、前書きで語られたこと(物事に意味を生みだす運動)は上の前者の(人間性に関する)事実に端を発しながら、後者の理論(地理学が潜在的に抱えていた理論)に含まれてもいる。
地理学が潜在的に抱えていた理論により、万物の意味の発生過程を説明することが「本書の語っていること」だ。

ベルク氏は自身の執筆動機の感情的な面について、詩的に語る。

p.12 この書物は、ひとつの確信に導かれている。わたしたちが物を把握すること、それはわたしたちが世界の展開そのものに参加することであり、たんに記号の配置のうちに意味を探るものではない。古代ではこの世界の展開を世界の詩、、、、と呼んでいた。ではこの〈詩〉をどう翻訳したらよいのだろうか。

ベルク氏は、この世界の詩と人間の営みとを海の波と波のうねりにたとえ、前書きをしめくくる。

p.12 人間の営みというものが世界の詩のうちでなんらかの役割を果たすとすれば、そしてこの役割が必要なものであるとすれば、人間の営みは世界の詩から離れると、意味を完全に失ってしまうのだ。その役割が必要なのは、人間が詩を語ることで、詩をはるかに遠くまで運ぶからだ。しかしこれは必要であっても、決して十分なものではない。もしも詩がすでに営みを支えていなければ、営みなどなにものでもない。とても長く、とても深い波のうねりが波を運んでくるが、砕けるときには波はうねりよりも大きくなっているように。

この書物で言いたいことはこれだけだ。わたしは海を眺めるのが好きだったので、この書物を書かずにいられなかったのだ。

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「言いたいことはこれだけだ。」 ザッパーン

エモい。
前書き全文のエモさを味わいたい方は、ぜひ本書を手にとってみてほしい。

また本書は全体に渡りエモーショナル(感情的)な表現が用いられている本である。
ただし、ベルク氏の学問的に正確を期そうとする姿勢は真剣であるし、その主題をより適切に読者に伝える手段として感情に訴える表現がとられているようにも受け取れる。
本書の主題である現実認識という行為は、人の感情の動きを抜きにしては決して語れないからである。

しかし人間が「世界の展開そのものに参加すること」のような比喩的な表現だけでは、本書の要旨を理解するのに不十分である。
ベルク氏は前書きに続く序章でも再度、本書の要旨を述べているので、次に紹介する。