地理学者が哲学に目覚めたら最強だったんじゃないか

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

5 人文地理は学問と称しながら原理をもたないじゃないか(と思ったことありませんか?)

ベルク氏が気がついたのは人文地理学の原理だったのではないか

と僕は思う。

前に述べたがベルク氏は日本版への前書きで、自分の関心がそれまで地理学者として行ってきたような地域研究ではなく

p.6 世界についての一般的な問いを、適切な形で提起すること

へ移った、と述べている。

地理学にまつわる「世界についての一般的な問い」 つまり一般人が地理学に解答を求めてきたこと、とは何か?

僕は一般人の一人として、この問いに心当たりがある。

歴史学者がいろいろな時代・地域の史実を研究するように、地理学者はいろいろな地域で起きた事実ばかりを研究している。
けれど過去に起きた史実しか扱えない歴史とはちがって地理は現在進行形の「いまこの世界」の現象を扱う学問なのだから、地理学は地域研究すなわちある地域の現状だけでなく現状に至る「原因」の方を問い、答え、そこから導かれる原理から未来をも推論すべきなのではないか。

地理学者の地域研究はまるでテレビの紀行番組みたいに 目新しい地域へと対象を移していくばかりできりがないけれど、僕が興味をもっているのは これから自分が参加するこの世界で普遍的に通用する法則は何なのかという問題の方なのだ。

地理学はきっとすべての地域研究、すべての地誌の裏にひそむ原理を研究することができるのに、それを教えてくれないのは学問として怠慢だ。

これは僕が子どもの頃に学校で地理の授業を受けて抱いた感想だ。

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他にも知りたいことがあるんだけど…

日本人誰もが義務教育を受け、それに含まれる地理を学ぶ。
地理の授業はおおよそまず自然地理を学んでから人文地理を学び、日本の地域や世界の地域の地誌を学んでいくという流れだ。
その第一目的はもちろん地理学者を育てることではなく、子供がこれから主体として参加するこの広い世界について教えることだ。

しかし、地理の授業は、世界のすべてのことを説明するわけではない。
僕は、地球が広すぎるから授業の時間が足りない、と言いたいのではない。

地理の授業内容に何が欠けているのか、具体例を挙げて説明したい。