地理学者が哲学に目覚めたら最強だったんじゃないか

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

6 スキー場はどこにでも作れるのに、なぜ地理を学ぶ必要があるのか

1990年代の日本の場合

僕は子供の頃、地理の授業でたとえば次のように教わった。
「日本の中央高地(日本アルプス)では、夏季は高い標高の涼しい気候を利用して高原野菜(レタスや白菜など)の生産が盛んである。夏は避暑地、冬はスキー場が開場されウインタースポーツを軸とした観光業も発達している。」 たしか先生が教科書かなにかを読み上げた後、

  • 中央高地の降雪量が多いこと
  • 山岳地帯で傾斜地であること

などがスキー場の立地に寄与する、と解説を加えた気がする。
(これは90年代の事例だが現在はスキーの流行も廃れ、授業で教えられる内容は変わった可能性がある。ただ、このように自然条件と人間活動が関わる地理的対象の例はほかにもあるだろうという前提で、今は90年代のスキー場をその一例として採りあげる)

このように人間の活動は、自然条件に影響を受ける。
ただし影響を受けるだけで、自然条件に「こうだ」と決定されるわけではない。

その証拠にスキー場は、冬は比較的温暖かつ乾燥気味になる太平洋岸の千葉県にもあった。
最盛期には年間100万人前後ものスキー愛好者を楽しませた屋内人工スキー場ザウスは、しかも海抜わずか数mの平坦な埋め立て地に、自然条件をまったく無視して建ち、10年間(1993~2003)四季に影響されずに営業していた
また同県内の習志野市にも大体同じ時期に別の人工スキー場があった。

人文地理学においてこのような自然環境と人間活動の関係を扱う際に、よく引き合いに出される本がある。
フランスの地理学者ポール・ヴィダル・ド・ラ・ブラーシュ(1845-1918)著『人文地理学原理』である。
タイトルにおいて原理を謳う数少ない地理学書を物したヴィダルは、それまで地理学で唱えられていた「環境決定論」に対して「可能主義」という態度をとった。
ヴィダルは

彼は、地理学の中で、ラッツェルの環境決定論を修正し、人間は環境によって法則的に決定されるのではなく、影響されつつも、それに対して能動的に活動することができると考えた。
*1

人間は環境に影響されつつも、環境に対して能動的に活動することができる。
こうとらえる地理学はとどのつまり、その研究対象において何が起こるのか可能性として何でも許容すると言う態度をとっている。

千葉県のスキー場も地理的対象として、その地理的背景(多数のスキー客を抱える首都圏という商業的後背地)と時代背景(バブルとスキーブーム)等から説明することはできる。
ただ、地理学は現実に対してそんな後付けの説明を加えているだけで、一つの学問としての立場を守れるのか。

僕は当時、海岸にそそり立つ人工スキー場の写真を見て「人間活動は地理的環境を無視することもできる(可能だ)」と強く感じた。

僕たちはレジャーを楽しむために海を埋め立て浜辺に雪山を作ることもあるし、山を上り下りすることなく通過できるようトンネルを掘りもする。
人間のこのような活動は、今日も確かに地理的条件と関わっているものの、地理的条件の僕らに対する影響力を日々ものすごい勢いで縮めている。

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なんでも可能性として受け入れます、ってもはや学問でないのではないか?

ヴィダルが活躍した20世紀初頭はそうでなかったのかもしれないが、今日は人間活動が自然環境を圧倒する形勢を見せている。
ロードサイドのチェーン店群は日本中どこもよく似た顔ぶれを見せ、スキーレジャーに限らず現実の多くの面において中央高地の街と千葉県の街は同質になってきてはいないだろうか。

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「スキーしたいね」「山行く?近場でザウスにしとく?」

このように人間活動は、世界中の諸地域からいわゆる「地域性」を失わせ続けている
そして地理学の理論を構成する地理的条件などの概念や地域の多様性という前提が揺らぎ、これが万人に学ばれる意義すら危うくなっているとはいえないだろうか。

つまり、人文地理学は原理をもたない故にその存続が危機にさらされている、と僕は思う。

まとめると、人文地理学は自然環境と人間活動の関係のありさまを叙述し続けている。
そして人文地理学はその関係自体の是非や、複数の関係間に共通する原理は問わない

ベルク氏が『風土学序説』で問い、答えようしているのは、この人文地理学が無視し続けてきた問い「〇〇はなぜそこにある(べきな)のか」だ、と僕は考えている。

しかしなぜ人文地理学は、子どもでも気がつくようなこの問いを、あえて問わないのだろうか。

*1:Wikipedia「ポール・ヴィダル・ド・ラ・ブラーシュ」より引用