地理学者が哲学に目覚めたら最強だった説

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

5 日常の目線で見た「この鉛筆」

僕たちは必ず文明を通して物を把握する

トポス(物の物質的な場所)とコーラ(物が存在する関係の網の目、たくさんの人が参加している網の目)が重なって初めて現実(たとえばこの鉛筆)が現れる。
この重なっているということは何を意味するのだろう。
あなたが現実(この鉛筆)を認識するとき、物とあなたの間で何が起きているのだろうか。

人間が物(たとえばその鉛筆)を認識する時

僕たちは地理学者がしたように、物を自分との関係において多かれ少なかれ価値づけて認識する。

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これで字とか絵とか書けるな。

この関係のことをベルク氏は関係の網の目、またはコーラと呼ぶ。
これは「関係」なので、

  • 対象となる物を成立させる自然環境や歴史(例:鉛筆の原料になった木の生えていた森林、鉛筆で何か書かれる紙など他の文具)
  • その環境や歴史に携わる古今と未来の人々(鉛筆が歴史的に登場する前から何かを書いていた人から、鉛筆その他を作ったり売ったりする人、鉛筆を使っている僕、書かれたものを読む人など)
の両方がその中に含まれる。
ベルク氏はこれを「人間性に固有の技術と象徴のシステム」(p.223)とも呼ぶ。
これは一言で文明と言い換えられる。
『風土学序説』においてこれらは「技術と象徴のシステム」という呼称されることが多いが、これはその2つを区別して説明する必要性が強いためであり、その必要性がない文脈ではまとめて文明と呼ばれている。

世界の諸地域で千差万別な多様性を発揮する諸文明は、現代に生きる僕たちの目から見て理にかなうような様式ならば「先人の知恵」などと呼ばれ、理にかなわないように見えれば「迷信」などと呼ばれながら、人による物の認識を覆っている。

一方で今日の僕たちは、その文化のもつ合理性の是非に関わらずに「物自体を知ろう」とする態度も併せ持っている。

天体物理化学者はじめ、科学者が認識しようとするもの

上で述べたように、僕たちは何事にもその背景に控える文明を通じてアクセスしている。
しかしこの現実は人間の知覚ばかりで実現するものではなく、その基盤にはかならず人間の価値観に左右されないその物自体がある。
近代以降の科学の視点は、あらゆるものを主体と客体(行為者と対象、人間と物、人間と環境)を分け、物自体のあり様を人間のまなざしにとらわれることなく認識しようと試みてきた。
その試みの成果として、ベルク氏が物のトポスと呼んだ、諸物の文明に左右されない側面が明らかにされている。

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使う人がいてもいなくても変わらないこの鉛筆自体の値
今日、物はそのようなトポスと上述のコーラというトリセツにおいて分析され、正確に認識することができる。

そして認識不能なもの

ただしベルク氏は、どんな科学も物について最後まで認識できない部分が残る、すなわち科学が認識できることには限界があると主張する。
その理由としてベルク氏は

  1. 技術的な理由
  2. 論理的な理由
の2つの理由を挙げる。

次の記事からそれぞれ説明する。