地理学者が哲学に目覚めたら最強だったんじゃないか

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

10 もしも杉並区を「風土」としてとらえたら

この記事を書いている2017年12月初旬、僕はある報道を耳にした。
(僕は事情により、投稿の時期よりかなり前の時点で記事を書いている)
報道でとりあげられた問題が、物事を「風土」としてとらえるとはどういうことか、それがなぜ現実的に妥当するのかを示すのにちょうどいい事例だったので、とりあげたい。

この報道の対象は東京都杉並区である。

杉並区の土性(トポス)

「風土」における土性(トポス)とは「物の物質的な場所」であった。
杉並区の場合、その土性(トポス)は、杉並区の自然条件(地形や地質)、構築物(建物、道路 etc.)、住民(人間の体も物体であるので)、その他、区内にある物体すべて、である。
Google Earthで「杉並区」と検索すればあなたにも概ね見ることができる、つまり杉並区の地番上に存在する物体すべてである、といってもさしつかえない。
概ねと述べたのは、Google Earthが常時撮影をしているわけではないことや、その画像にそのすべてを収めきれない(建物の中などが見えない)ためである。
これらが杉並区の土性(トポス)である。
これらはたとえば現地において調査をすれば、その量や質を数値化できる類の杉並区の側面である。

杉並区の風性(コーラ)

「風土」における風性(コーラ)とは「物が存在する関係の網の目」であった。
これは物の背景や存在意義ともいえるし、述語論理(ある物が属するもっと広い述語)と表すこともできる。
杉並区という自治体が成立している背景、すなわちその風性(コーラ)とは
杉並区の成立する背景となった史実と
(杉並区は)東京都23区(の1区である)、
(杉並区は)東京都(の1自治体である)、
(杉並区は)首都圏(の1自治体である)、
(杉並区は)南関東(の1自治体である)、
(杉並区は)関東(の1自治体である)、
(杉並区は)東日本(の1自治体である)、
(杉並区は)日本(の1自治体である)などといった現在進行形の事実である。
杉並区が地理的に属するこれら他の諸々の規模の場所が、杉並区の風性(コーラ)である。
また杉並区の存在意義とは、この自治体にかかわる人全員における杉並区の位置づけ・役割である。
杉並区は、ある人にとっては住み処として、他のある人にとっては勤め先として、他の人にとっては会合の開催地として、過去に住んでいた地として…区の全関係者につながる、膨大な関係の網の目の中に存在する。
これらすべての関係性が、杉並区の風性(コーラ)である。

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杉並区の土性(トポス)と風性(コーラ)=「杉並区という現実」(「風土」としてとらえた杉並区)

物事の風性(コーラ)は、その物事における測定することも数値で表現することも難しい側面である。
その情報を共有できるよう表現するためには、それに関係する人間活動を含めて、言葉などで考え叙述することが必要になる。

報道の内容

2017年11月に杉並区役所は「ふるさと納税で住民税が流出しています。」という見出しのチラシを25,000部印刷し、区内で配布した。
産経新聞による下記サイトの記事に

  1. 杉並区役所が区民のふるさと納税に関連して行った諸活動(チラシ配布はその一環だった)
  2. 活動を担当した区職員のコメント
  3. 東京23区の区長会の見解
  4. 総務省の見解

が伝えられている。

産経Bizの報道記事

詳しいことはリンク先で読んでほしいのだが、この報道の要旨は

返礼品による経済活性化など一定の成果を上げているふるさと納税だが、利用者の増加に伴い、税収を失う都市部自治体の反発も強まっている。
(産経Biz 2017.12.5 18:35「「住民税が流出しています」 ふるさと納税で税収減、東京・杉並区が危機感訴え」より引用)

ということである。

ふるさと納税における都市部の自治体と地方の自治体の対立は、立場の異なる者同士の利害対立であり、一概にどちらが是と断ずることが難しそうな問題である。

ところで、僕が今とりあげたいのは杉並区役所が配ったチラシが「杉並区の現実」をどのように扱っているか、である。

報道されたチラシの裏面に、区民のふるさと納税と区の税収がどう関わるのかが図と文言で示されている。
ここに示された情報に虚偽は含まれず、すべて正しいと信じるとしよう。
その上で問題点があるとすれば、タイトル下の図の右上で、区民がふるさと納税に当てたお金が煙で表現された(正体不明なイメージの)「ふるさと納税」へと飛んで行ってしまうイメージである。

ふるさと納税という制度の目的と理念は、総務省の下記サイトに示されている。
よくわかる!ふるさと納税
ふるさと納税の理念
これらのサイトによると、ふるさと納税という制度は、都会の住民が、自分が個人的にかかわる日本の地方自治体(ふるさとという語で表された「日本の地方」)へ寄付をし、「地方創生」「日本を元気に!」することを目指して導入された。
ところで杉並区を除く日本の全自治体は、上で述べたとおり杉並区の風性(コーラ)に含まれる。
つまり、杉並区の区民がふるさと納税にあてたお金は、杉並区の風性(コーラ)へ全額つぎ込まれている。

前の記事で述べたことをくりかえすが、僕たちが認識する物、現実においてかかわっている物には、風性(コーラ)と土性(トポス)という相異なる側面が備わっており、それらはどちらも欠かせない、無視すべからざる側面である。
どのような物でも、その実現要件である風性と土性を両方とも考慮して扱わない限り、その現実味が失われる。
杉並区はその風性(コーラ)なくして、実際今あるような自治体としても、その商工業地域としても、教育機関の立地する地域としても住宅地としても、決して成立しえないのである。

だから、杉並区の区民がふるさと納税にあてたお金はその全額が、直接的にではないが、結果的に杉並区が(自治体として、また大勢の人々の個人的な意味あいにおいて)今日のような形で実現されるために充てられている、といえるのである。

杉並区役所が配ったチラシの問題点

現実において異なる立場間の利害がからむ難問には論理の混同やすり替えなどさまざまな欺瞞がつきものだが、いま取り上げている杉並区役所の活動の場合、問題は「現実においてその土性(トポス)だけを存在するかのようにみなし、その風性(コーラ)をまるで存在しないかのように無視した」という一点にある(本記事でこの報道をとりあげた理由である)。
報道された杉並区の配布したチラシでは、区民がふるさと納税にかけたお金が煙、つまり正体不明のイメージへと向かう図が示されている。
そして何よりも、見出しの「ふるさと納税で住民税が流出しています」という文言で、ふるさと納税にかけたお金は杉並区と無関係なところへ移っていると訴えている。
しかし実際には上で述べたとおりそのお金は100%、杉並区(現状の杉並区の実現)自体のために費やされている
このチラシは、現実の一部を故意に隠し、まるですべての事実を、現実全体を示しているかのように装いながら現実の一部のあり様だけを訴えている点で、誤っている。
いや、現実認識を誤っているが故に、無効な訴えをしていると言った方が正確である。

ベルク氏の提示した「風土性の視点」

杉並区という行政区または地域は、鉛筆よりもその目的や機能が多岐にわたる複雑なものであるが、やはり「風土」としてとらえることができ、その観点から現実的な問題(このチラシのどこに問題があるのか)を分析することができた。
このような物のとらえ方を、ベルク氏は本書で「風土の関係の視点」、「風土の視点」、「風土性の視点」などと呼ぶ。
ところで、事実を誤って伝えた場合はその論点が「正か誤か」となるが、いま取り上げた事例で区役所が区民に問おうとしているのは納税先の正誤ではなく、納税先の是非である。
現実の事物すなわち「風土」という関係は物事の真理ではなく物事の道理に、物がどうあるべきであるかという問いに関わるのである。
もちろんその問いは、本書が序文から掲げている「〇〇はなぜそこにあるべきか」という問いから派生している。