地理学者が哲学に目覚めたら最強だった説

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

1 ここからが拙ブログの本題である

ここまではまだ拙ブログの前説である

拙ブログにおいてこれまで僕は『風土学序説』の内容をできるだけ曲げずに、拡大解釈しないよう、かつ常識はずれな言い方をしないよう気をつけながら「風土」を紹介するよう努めてきたのだが、あなたはどう感じただろう?
どこかで聞いたことのあるような話が続いて退屈だったとしたら、申し訳ない。

しかしこれから紹介していく本書の学説は、ありきたりなことではない。
それが2018年現在の日本における常識を打ち破るような学説であるため、僕はその前提となる問題提起と「風土」の概念についてこれまでできる限り丁寧に説明してきたつもりである。
もしこれまでの話があなたにとってむしろわかりづらかったのなら、それについても申し訳ないと思う。
過去の記事の中でわかりづらい点があれば修正していきたいので、ぜひ指摘していただきたく思う。

本書の本題を思い出そう

本書の全体的な問いは次のようなものだった。

「世界の諸事物にはなぜ意味があるのか?」
地理学者が新しい学問を拓こうとした動機 -2

「人間は地理的な存在である(とはつまりどういうことか?)」
「ある物がそこ(今ある場所)にあるべき理由はなにか?」
地理学者が新しい学問を拓こうとした動機 -3

「(人文)地理学が対象とするこの現実世界にはどのような原理があるのか」
この世の原理

これらは地理学と哲学の両方がかかわる問題、しかしどちらの学問も取り上げる(または十分に論じる)ことのかなわなかったような問題である。
ベルク氏は、和辻哲郎『風土 人間学的考察』に着想を得て、おそらく自身でも地理学者としてわだかまりを感じ続けてきたこの問題を解く学説を立てた。
いや、そのわだかまりはひょっとすると、ベルク氏が地理学者になった動機そのものだったのかもしれない。

p.12 わたしは長い間、言葉がみずからの周りを旋回することに驚きを感じてきた。でもこれまでわたしは、幼児の頃からぼんやりと感じていたことを、一貫性のある言葉で表現するという作業にとりくんでこなかった。

僕は拙ブログで以前、その和辻氏が発案しベルク氏が地理学者として引き継いだ主張を非常にユニークかつ常識破りだと述べたが、これまでその内容について説明することを保留してきた。
和辻氏とベルク氏、両者の主張が今日の常識にあまりに反していることが、もしかすると日本において両者の思想が普及することを妨げてきたのかもしれない。
僕はそういった懸念を抱き、その核心部をあえて避けながら本書を紹介してきたのである。

「風土」(風土エクメーネまたは風土ミリュー)と風性(コーラ)、土性(トポス)は、ベルク氏が和辻氏の思想を受けとめるために独自に用意した理論的枠組みであると思う。
拙ブログは次の記事から、すでに説明した人間に特有な現実のあり方「風土」をふまえて、本書の本題であるその「風土」を生んでいる人間性(人間に固有の特徴)の説明に入る。