地理学者が哲学に目覚めたら最強だった説

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

10 風土性は人間性の原点である -1

「風土性は人間の実存の構造契機である」とは?

前の記事で引用した、ベルク氏が和辻氏から引き継ぎ独自に発展させた風土性の定義は、以下のとおりである。

p.223 人間の身体が二つに分かれ、わたしたちの動物身体の中心の存在が、わたしたちの世界の地平の涯まで延長されるということが、人間の実存の構造契機なのである。それが風土性ということだ。

これはいったいどういう意味か。

このアイディアの発端は和辻哲郎『風土 人間学的考察』にある。

この書のめざすところは人間存在の構造契機としての風土性を明らかにすることである。
(『風土 人間学的考察』p.3)

ベルク氏は和辻氏のこの文章を、自分なりに解釈した。

p.222 風土性を「人間存在の構造契機」と定義することは、そこに動かす力があるということである。これは物理学で「偶力モーメント」「静的モーメント」「磁気モーメント」と呼ぶモーメントに、動かす力があるのと同じことだ。このモーメントでは、動かす力の大きさは距離に比例する。偶力モーメントの大きさが、偶力のテコの腕の長さに比例するのと同じである。和辻は、力学を思わせるこの定義を採用した根拠についてはまったく説明していないし、契機という語も説明していない。しかしこの理論的な導入部分の後で使う概念イメージを分析してみれば、その理由が透けてみえるようになる。和辻は、「外に出る」という原則を使っているが、これはハイデガーから直接借りてきたものだ。和辻が依拠しているのは、ハイデガーの「脱自存在(Ausser-sich-sein)」という概念だが、すでに指摘したように、これは実存(existere)の文字通りの語源的な意味である「外に(ex)」「立つ(sistere)」ということだ。この概念は、現存在の存在は、その身体を包むものとの自己同一性に限定されないことを意味している。現存在は自己の外に、みずから配慮する物のもとにいる。現存在が物に配慮すればするほど、現存在は自己の外にいるのである。和辻が構造契機という考えを思いついたのは、ハイデガーのこの概念からだと考えることができる。実際に、外に出ることは、こうした契機を構成することにほかならない。テコの腕を作り出すことだ。これはベクトルとしても考えることができる。ベクトルの強さは、矢印の長さに比例するだろう。

前の記事で述べたとおり、風土性は人間に特有の性質である。

そして構造契機という語を引き継ぐことでベルク氏は、和辻氏がこの風土性を

  1. 「人間の構造」 = 人間全員がなぞっている形式、人間性
  2. 「契機」=始まるきっかけ
  3. 「契機」のあるような性質 → つまり静的な性質ではなく動的な性質である

1.+3.→4.人間が人間らしくなる(する)こと

(結論)2.+4.→風土性は、人間が人間らしくなるきっかけにあたる

と考えただろうこと、それに賛同することを示した。

その性質の内容をベルク氏は、自分なりに表現した

p.17 人間は地理的な存在である。
p.19 重要なのは、人間という存在が大地(ge)にみずからの存在を刻み込んでいる(graphein)という事実であり、逆にある意味では大地によって刻み込まれているという事実である。地理(geographia)はまさに、この〈意味〉を問うのである。 この関係は、わたしたちの人間性そのものの基礎であり、人間性の条件である。
p.20 人間が地理的な存在であるのは、人間の身体の物理的な定義をはるかに越えて、わたしたちそのものにおいて、大地の全体がかかわるからだ。こう言ってもいいだろう。人間であるということは、地球の反対側で起きることにもかかわりをもつということだ。
p.20 類人猿とは異なり、わたしたちの身体の限界を越えた遠い「あそこ」で起こること、わたしたちが足を踏みいれることもないような場所での事件が、わたしたちの実存そのものを構成するからである。

実存という語についての説明はもう少し後でさせてほしい。