地理学者が哲学に目覚めたら最強だった説

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

12 体の外に出るとか物を体に取り込むとか…ヴァーチャルな世界の話かよ!

環境と自分の体のイメージは変わりました?

ここまでの記事で僕が言っていることは、どうだろう?
納得できるだろうか。
突飛すぎてちょっとイメージしづらいんじゃないだろうか。
そんな、きっと読者に抱かれるだろう感想を代弁して、記事のタイトルをつけてみた。

でもベルク氏が著した『風土学序説』の話題は地理学の研究対象と同じこの現実、ヴァーチャル(仮想)でない本物のリアリティのことである。
それは保証する。

物が自分の体ってどういうこと?

たとえば。
あなたは、自分の体と何か物、たとえばいま着ている服のどちらが大切だと思いますか?
そりゃ替えのきかない自分の体の方が大切だ、というだろうか。
じゃあその着ている服を全部ぬいで、学校に行ったり仕事したり人と会ったり、つまり自分のしたいこと諸々をできますか?
できないですよね。
たとえ体が健康で精神的に安定していても、服を着ていなければ人間らしくまたあなたらしく社会で活動することはできない。

ひるがえって自分の体の方をみると、命にかかわらない程度ならその一部を失っても人間らしく活動することはできる、ともいえる。
道具の使い方を他人と変えることで体の不足を補うこともできるし、義足や義肢を装着して補うこともできる。
体はいろいろな致命的な/致命的でない機能を果たす器官で成り立っており、ベルク氏の用いている〈肉〉にもそのような特徴があると思う。

ベルク氏の仮説「人間の全身は、その体とその人が認識してる物すべてである」を別の言葉で言い換えると
「ある人の体とその人の環境は、本人にとってどちらも同じくらい重要だ(体の健康や快楽や容姿の美を保つことと、身のまわりの環境の状態を自分にとって適切に保つこととは同じくらい重要だ)」ということだ。
もちろん体と環境は別物である。
ただしそれらに対して僕らがもっている感覚は両方同質であるはずだ(人の体とその人の環境は本人の感覚において通じ合っているはずだ)、とベルク氏は主張している。

p.225 人間がみずから人間を囲む物であると同時に、わたしたちの固有の身体であって、この二つが区別できないという意味ではない。風物身体は動物身体ではない。しかしたんに投射(projection)されるのではなく、通態(trajection)するのである。

ただし、本人の体が本人だけの物なのに対し、環境はまわりの人々と共有している物である。
だから上の「環境の状態を自分にとって適切に保つ」は自分だけではなく「自分たちにとって適切に保つ」である必要がある。

ただ、ベルク氏の主張によると、そのような環境(風物身体)には自分の服などよりずっと遠くにあるもの、たとえば前に挙げた地球の裏側のニュース火星も含まれる。
前に述べたとおり、あなたがなんらかの名で呼べるものすべてが「風土」であり、あなたにとってあなたの体も同然の存在なのである。

「風土」は地理+歴史である

ベルク氏は「風土」を尊重することとは

p.407 過去、現在、未来のパートナーと通じ合うことである。

と言っている。

p.407 この過去と未来の「パートナー」という幽霊のような話はいったいなにか。
― 人間の風土ミリューは、空間の中だけでなく、時間の中でも織りあげられていることを確認したいのだ。実存することは、延長だけにかかわるのではなく、持続にもかかわることだ。

そのような「風土」は、ある具体的な場所における物のあり様、たとえば地域ならば地域性を表す。
地域特有の具体的な物のあり様と言ったら、その場所の地形や気候など地理的な特徴だけでなく、必ず歴史的な経緯が関わってくるのはおわかりだろう。

そのようなあなたのまわりの「風土」は、実はあなたの体であると同時にあなたの近くや遠くでそれに関わっている(いた)人の体であり、さらには過去にそこにいた人や未来にそこに来るだろう人の体でもある。
体とくりかえしたが、正確には「体も同然の存在」である。
僕らが物において何事かを感じるのは、全部その人間特有の風土性のような感受性のせいだとベルク氏は言っている。
価値的な感情だけでなく、非価値的な感情や悪意も含め、すべての感情の動きについて「そうでなければなぜまわりの物や人の言うことから意味を感じたりできるんだい?」と。

p.235 風土性の視点からは、世界に意味=おもむきがあり、わたしたちが物に感動するのは、わたしたちが世界や物を実存させているからである。すなわち、わたしたちの存在がここに通態され、同じ存在論的な構造のうちに、世界や物をわたしたちの〈肉〉と一体のものとしているからである。

僕が物と通態すると環境が自分の体も同然になるが、それは僕が世界や物を実存させているからだ。
って、だから実存するって何のことだ?