地理学者が哲学に目覚めたら最強だった説

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

6 風土学と断舎離の共通点と相違点

断舎離と風土学

断舎離思想(不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想)の創始者の山下英子さんは以前、テレビ番組に出演して「問題なのは持ち物の多少ではなく、自分と物がいい関係を築いているかどうか」「自分がひとつひとつの物をどこに置きどう扱っているかを見直す過程を大切にしてほしい」と言っていた。
同時に「私はノウハウ本は絶対に出さない」とも言っていたが、ご自身名義の断舎離ノウハウ本(たとえば傘はなくさないようお気に入りを1本だけ持ちましょう、といった内容)を見かけたことがあるのでそちらについてはこだわりを捨てたように見受けられるが。
(山下さんの発言についてはすべて僕がテレビを通じて観覧したことを思い出しながら述べているので、細部は違っているかもしれない)
今日、断舎離に関連した諸活動は、山下さんがそれを発展させた新たな思想の構築に向かったり、山下さん以外の支持者が独自の見解のもとでノウハウの実践に人々を走らせ自称ミニマリストたちを後押ししたりと、当初の思惑からだいぶ外れているようにみえる。
しかし、もともと山下さんの提唱していた断舎離思想は、人と持ち物の関係のあり方を、持ち物の多少でも持ち物自体の質的な(値段、稀少性、機能性など)良し悪しや大小でもなく、それを(決定するとまでは言えないが)大きく左右する持ち主の姿勢に問うていたはずであった。

だって、自分には使い切れない物をたくさん持っていても、断舎離の視点からは問題がない場合もあるのだ。
個人宅が大きな納屋をもつことの叶いやすい田舎では、物を大量にため込んでいる人がけっこういる。
その大半の人は断舎離で生活を改善する余地がありそうに見えるが、実はそのように不要な物たちが持ち主に豊かな生活を保証してくれている場合がある。
田舎では新たに何かが必要になった時、町まで買い物に行かずとも手持ちの物をリフォームして事態に即した物をこしらえることがままあるからだ。
用途の限られる物よりも、用途を無限に選ぶことができる上にかさばらないお金の方をたくさん持とうとする人の方が昨今は多いのかもしれないが、実際に現場ですぐに役に立つ、すなわちより利便性が高いのが常にお金だとは限らない。
通販を利用するにしても、買った品物が届くまでには時間を要する。
ただし所与の物を利用するには、もちろん物自体だけでなくいろいろな道具とそれらを扱うスキルも必須である。
そしてリフォームされた物はもとは不要品に近かった物なので、買ってきた物とちがい他人にも手間賃程度で惜しみなくあげられる(もらう方も気安いし、お金でなくまた別の手間で返礼する選択も可能)。
今は不要な(以前は必要だったり、将来必要になるかもしれない)大量の物を自分たちの手足として使う暮らし方は、そのようにコミュニケーション力を含む多彩なスキルを要し、とても手間がかかる。
でもそれは同時に当人にとって人間性を育み隣人と助け合う機会を与え続ける、とても豊かな暮らし方でもある。
そのような持ち物は、たとえもし今、自分にとってまったく不要でも捨てない方がいいだろう、なぜなら自分たちとの長期的な関係において価値をもち得るから。

以前の記事から述べてきたことをまとめると以下のようになる。

  • 自分と身のまわりの物の間をつなぐ関係を具体的に意識していると、自分が生きているという実感が得られる。また、暮らしの感覚的な豊かさにつながる(山下さんは「豊かな気持ちで暮らせる」と言っていた)。
  • 自分とまわりの物の関係に裏づけられた「自分は確かに生きている」という実感がぼんやりしているのを改善することは、手段先行で叶うとは限らない。現状の関係の問題点を認識することから始めた方が無難である。
    (その逆に問題点がわかっているからといって具体的に行動しなくても、やはり関係の改善はできない)
  • 自分と物の関係をその背景(にいる他人)を含めて具体的に直視することから始め、自分はこれからその物をどう扱うかという判断のしかたを従来の今・自分目線一点から過去と将来を含む具体的かつ関係者全員への影響までを含む地理・歴史的視点に変えることで、暮らしにおける身体性がよみがえってくる。
  • 物(その背景を含む)の価値に対する自分の判断姿勢をその具体的かつ多角的な視点から問い直すことは、自分と関係者双方の暮らしの質を向上させることにつながる。

山下さんはテレビ番組「ソロモン流」に出演していた時、断舎離とは「私、家族、仲間がご機嫌でいられるように、場所をご機嫌にすること」だと言っていた(これだけは番組名を覚えている)。
この言葉の「場所」は、風土エクメーネの定義「人間存在のすみか(oikos)そのもの」に大変近い。
そして風土学の視点は、特にその「仲間」に対象事物の関係者(会ったことのない人を含む)全員と彼らの環境をも、言うならばあなたと利害関係にある世間として、含めるべきだと主張している。
なぜなら、関係者の範囲を自分の目前で区切ることは、風土学の学識的見地からは既に見えている現実の一部からあえて目を背ける行為にあたるからだ。