地理学者が哲学に目覚めたら最強だった説

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

7 人間にとって環境と自分の間に秩序を現すような感受性は必然なのか -1

身体的不全感は問題か否か

僕は以前、日本人の物とのかかわり方は控えめに言って混乱している、と言った
角幡さんはこの状態を病気であると断じながら、また「自覚症状はまったくなく、命に別状もないため罹患してもまったく問題はない」(角幡唯介『探検家、36歳の憂鬱』p.153)、しかし「決して健康ではない」(同書 p.163)とも言った。
この身体の不全感はどういう状態なのか。
そして結局、この不全感を感じながら生きることは本人やまわりの人や環境にとって、本質的にまずいことなのか否か。
これらを理解するために、この状態を風土学の視点から説明したい。

人間の風土性を紹介した際に述べたことの繰り返しになるが、人間は無意識のうちに、自分本来の体だけでなく、自分の環境を「自分の一部(体)であり仲間と共感をとりもつもの」と認識しながら生きている。
そのように人間から認識されている物のことを、ベルク氏は「風土」状態であり人間の風物身体(身体と同等の存在)とも呼ぶ。
自分の世間を気遣いながら生きている昭和世代や「農山村や漁村で第一次産業に従事している人なら」(同書 p.153)、その人の環境は「環境」や「空間」といったよそよそしい学問用語で表現する必要性の感じられない、ベルク氏のいうとおり自分たちの生感覚に満ちた場である。
特に昭和世代はアナログからデジタル、その先へと日本の技術が発展する過程、すなわち彼らの風物身体の成長に立ち会い、自分たちの手足(ベルク氏のいう動物身体)でしていたことが体の外の物(風物身体)へと移っていく様を実感してきた。
主体(自分)と客体(物)を分離して扱う風潮が先人たちの実感を飲み込まない限り、彼らは自分たちの体とまわりの物を地続きに感じ続けるだろう。

人が環境と一体化するとどうなるか

なお、ベルク氏の持論によると、この昭和世代のような人々は、日本人が中国から被っていたはずの影響にも関わらず、現代の若者と比べて明らかに風景というものの知覚度が低かった。
北海道は美瑛や富良野の田園風景の圧倒的な美しさが住民からはまったく見過ごされる中、よそからやってきた人々の目から初めて発見されたという事実とベルク氏の風景論はぴたりと一致している。

p.284 風景的でない社会、あるいは以前は風景的でなかったどの社会にも共通の特徴がある。こうした社会は環境のうちに、特定の秩序、コスモスを読み取っているのだ。このコスモスは、社会の成員の風物身体と動物身体を同じおもむきで刻印しているのである。この目に見えるコスモスから、コスモファニー的(cosmophanique)な社会が生まれる〔コスモファニーcosmophanieとは、宇宙、秩序(cosmos)と現れる(phainein)による造語。自然と文化、知識と獲得を含む全体的な秩序が現れるということだろう〕。

あの田園風景は美瑛の農家にとって、よその観点から茶々を入れられるまではまったく自分たちの体も同然の存在つまり風物身体だったと考えられる。
ただし現在では美瑛の住民自身にもそれが観光資源であると大なり小なり感じられているので、もし形がほとんど同じでもそれが昔と変わらず彼らにとって「体も同然の存在だ」とは言えないかもしれない。
かつて、彼らはその圃場を客体視せず、まるで自分たちの体の延長でありその一部であるように感じ、見、扱い、手入れしていたのだ。
体とは絶えず新陳代謝をし生まれ変わりながらも同一性の保たれる、一つの秩序に貫かれた小宇宙のようなものだといえる。
そんな身体と環境が一体化した共同体の、おおよそ高度成長期以前の日本で主流だった形がいわゆる世間だろう。

実は巨人なのにロボに乗ったような心地

しかし、世間という概念の実際を知らず、生まれた時からデジタル家電に囲まれ、世界とは環境だと教えられた若者世代の感覚は違う。
僕たちは、自分は自然環境と社会環境(自分以外の物や人)とそれらと自分の間を満たす空間の中でこの体1つをもって生きていると大人から言われ、本気でそう信じてきた。
(僕自身は黒電話もバブル景気も経験しているが高度成長期は知らない程度の若さである)
そしてこの便利な暮らしは、先人が自然環境を切り崩して築いた機械などいわゆる物質的な豊かさのおかげで実現された(代わりに精神的な豊かさは失われた)と考えている。
そういう考え方を持っている人は、精神とは所詮気の持ちようであるし需要があって採算が合うからと言って平気で千葉県の海岸にスキー場を建てたりもできる。
そうしてかつて人間の世界を自律的に支えていた感性が、その地域性という形が目に見えて失われきた。
いわゆる空間に満たされた世界は、物理・生態学的な制約を逃れ人間の意志的行動に従い一見多様化していくように見えて、実は別の法則に干渉されながら広範に均質化している。

しかし風土学の視点からいうと、僕らがお世話になっている現代日本の全貌は、先人たちの一部であったと同時に僕たちの一部でもある風物身体である。
僕らは先人の体として働いていたもの、その半身も同然だったものすべてを、機械や道具などの形で受け継いでこの生活を営んでいるのだ。
昭和世代は「もうこんな大変な思いをしなくてもいいように」「もっとたくさん/早くこうできるように」などという切なる思いのもとで文明を発達させ、それらを「風土」において遺した。
ただし昭和世代は僕ら次世代にその新たな「風土」の使い方すなわち機能は教えてくれたが、自分たちがどんな感覚を以てどんな思いでそれらを発展させたのかを十全に伝えることはできなかった。
自分たちの感じていた不便や非力の感覚とそれを克服しようとする意志に、それほど価値があるとは思えなかったからだ。
まるで美瑛の農家が、その景観と完全に一体化して生きているゆえに、そこに自ずから現れていた秩序の美しさに気がつかなかったのと同じように。

p.223 人間の身体が二つに分かれ、わたしたちの動物身体の中心の存在が、わたしたちの世界の地平の涯まで延長されるということが、人間の実存の構造契機なのである。それが風土性ということだ。

美瑛の風景に現れた秩序はベルク氏がいうとおり、北海道の厳しい自然の産物でも、それを読み取り受け容れながら立ち向かう人間の尽力*1の賜物でもなく、均衡する両者の間に自ずから現れ、主体たる人間に生きられていたのだ。
それがベルク氏が人間と自然の通態と呼ぶ現象である。

僕ら日本の若い世代は、近代文明の「主体と客体は別物」という教えとともに「風土」も親世代から教えられたとおりに受け取った。
先人も僕らもその風物身体の機能だけを重視し、その機能だけが引き継がれた結果、僕らは「機械やシステムを利用して〇〇できるけど何かをしている感覚は得られない」という状態に陥った。
風物身体を人間の体から拡がる第2の体とするなら、日本の若者はまるでそれを感覚を伴わずとも意のままに動かすことのできるモビルスーツのようにとらえて暮らしている。
そして、自分の行為の結果の大きさと物から受け取る感覚がかけ離れていることをなんとなく感じ取り、もどかしさのようなものを感じている。

*1:前後左右に傾斜した広大な土地で限られた期間内に作物をまっすぐに植え育てる仕事は、熟練土木工にも似た高度な技術を要する