地理学者が哲学に目覚めたら最強だったんじゃないか

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

4 人間の有限性の2つの面と文明の2つの面 -2

機能面で満足するか、意義面で満足するか

人間の風物身体すなわち「風土」は、人間が環境を取り込み、「自分(たち)は全能ではない」という不足感を満たそうとして展開されている。
前記事で述べたように、その技術体系には技術体系の、象徴体系には象徴体系の、それぞれ別の役割がある。
ベルク氏はこれを前述のように「技術による投射と象徴による内射」とまとめた。

技術の力に魅せられた人は技術体系を発展させ、その有効性を可能な限り世界に広げていく。
ひいては世界を人間の技術で満たすことで人間は神の後を継ぐべきだと言う人までいる。
一方、彼らの天井知らずの挑戦に警鐘を鳴らそうとする人たちもいる。
技術の力を本質視する人たちは、自分のまだできないことをできるようにすることで、自分の人間性を外へ向けて発揮しようとする。
彼らに疑問の声を上げる人は、自分が自分以外の何かのおかげで今ここにいられることを忘れずにいることで、自分の内向きの人間性を発揮している。

また物の使い方と人間の気のもちようという二元論のような問いに戻ってきてしまった。
人が感じる2種の身体的不全感はどちらも人間の本質であって、否定できない。
だからそのどちらの克服も甲乙つけがたい。
でも結局、技術体系を発展させることと象徴体系を発展させることのどちらが人間の生き方において本質的なのか。

人生に結論を求めるような話をしたら、なにも始まらない

もしも結局の話をしてしまったら… 技術体系も象徴体系もいわば人間の気休めにすぎない。
ある人の技能を体現する「風土」も、その人の心を象徴的に補う「風土」も、本人にとっては両方とも自分の体も同然の存在であるが、他人からつまり客観的に見れば両方とも本人の体ではない。
それらは人間を本人の心身の限界を超えて、たとえば寿命を超えても何かを感じていられるように生きさせたりはしない。
もし「風土」をまるで客観的に(自分とは独立して)存在する交換可能な事物であるかのようにとらえてしまうと、人間はそれらのうちのどれがより効果的に自分の不全感をうめあわせられるか、より有効な気休めになるか、といった自己満足的な問いを発してしまう。
その自己満足はベルク氏によると、近代思想が人間に「あなたが感じている有限性の原因はあなたの頭脳にある」と言い聞かせて提示したその解決方法である。

しかしベルク氏によると、万人の人間性の原点である風土性は、人間が自分の内にある感覚を自分の外の場まで広げて他人の感覚と共振させようとする情動である。
その結果生まれる「風土」の機能性と象徴性は、他人から、つまり客観的な観点から問われるべきことではなく、まず「風土」を生じさせている本人が自分の人間性と状況にしたがっていかに生きるかを問うた時に、手段として選ばれるべき事柄である。
言い換えると、「風土」のなんたるかは客観的に問われるべきことではなく、ある人が自分の生きる姿勢の一環として問うべきことである。

姿勢といっても態度といってもいいのだが、それは自分の外側に対してとるものだ。
その姿勢がとられる対象は、あの人間が自覚する有限性(自分はなぜ生まれたのか、それなのになぜ死ぬのか、これだけの能力しかないのか 等)の原因である。
人間は自分の体内にも外なる体たる風土の内にも見当たらないその原因に対して、無意識に「風土」を身につけて対峙しようとしているのだ。

もちろんその原因は本人が生まれる前から存在し続けている運命とか森羅万象とかいう類のものであり、人間の頭の中にあるのではない。
だから人間の生死を司る何かとは、その他にも人間に制御できないような様々な事象をも司るものである。
「風土」が現実のトリセツであったことを思い返せば、その原因はトリセツに含むことのできなかった「認識不能なもの」にあたる。
すなわち人間は、他人と共に認識できる限りのものすべてを取り込みながら、様々な不条理の原因となっている認識不能なものに立ち向かおうとする生き物であるといえる。
何かを目指して選択をする態度とは、つまり主体的な態度である。

p.221 和辻がみずから書いているように、問題があるのは「主体的な人間存在」のうちなのである。
たといここで風土的形象が絶えず問題とせられているとしても、それは主体的な人間存在の表現としてであって、いわゆる自然環境としてではない。この点の混同はあらかじめ拒んでおきたいと思う。
和辻哲郎『風土 人間学的考察』p.3)

以上をまとめると、「あなたはいかなる風土に生きるか(いかに事物を体と成すか、物に機能性と象徴性のどちらを求めるか)」という選択は、問われた本人の(本人がいる場における)主体的な態度、信念から導かれるべき問題である。