地理学者が哲学に目覚めたら最強だった説

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

1 地理学者の信条 -1

人文地理学の基本(1)

『風土学序説』でベルク氏は、数多の専門外の学説を参考にする。
それらが理にかなっているか否かを精査する際、またそれらを総合する際、ベルク氏は自分の専門分野である人文地理学の原則にもとづいて自分の意見を述べる。
そしてまたその原則のもとで人間が何かを「○○として」扱おうとする過程において、人間の風物身体「風土」になった物はある特定の意味を宿すようになると自論を主張する。
その過程をベルク氏は下のように説明する。

p.227 風土エクメーネは生物圏を前提とし、生物圏は惑星を前提とするが、その逆はあてはまらない。そして物理化学的なものから生物へ、生物から人間へと方向=おもむきが生まれ、精緻なものになっていく。すでに指摘したように、象徴的なシステムの登場はひとつの飛躍であり、物理的な延長を根本的に乗り越えるものだが、象徴的なものが意味=おもむきを独占できるわけではない。この意味=おもむきは、風土性の存在論的な構造のうちにしか存在しえず、生命を前提とし、生命は宇宙を前提とする。象徴性がもたらすのは、それ以前と同じ尺度では計れないほど自由な意味=おもむきを作り出す能力である。しかしこれが意味=おもむきを作り出すのではない。歴史というアリアドネの糸によって、そしてわたしたちのだれもがもつ動物身体によって、この能力は宇宙の端緒という計りがたいほどの暗闇から、原初的にそして本源的に、これを受け取るのである。

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宇宙→地球→たとえば日本を例にとった。鉛筆でも何でもいいのだけど、地図(土壌地図、植生地図、産業の地図 等)が重なるイメージでわかりやすいかと思って。

アリアドネの糸については後述する。
ベルク氏の主張の根拠は、人文地理学の基本そのものである。
注意すべきは、文中で「前提とする」の意味することを拡大解釈してはならないことである。

p.116 前提として確認しておく必要があるのは、人間の秩序が自然の秩序を基礎としているとしても、自然の秩序そのものと同じではなく、自然の秩序に還元できないということだ。これをゆるがせにしてしまうと、そこから権力の自然化の道が始まり、最悪の結果として、科学主義のくびきのもとで、社会的なものが普遍化されてしまう。これまでの歴史が示しているのは、これは人間性に対する犯罪に進まないとしても、必ずや専制につながるということだ。

現実においては宇宙の端緒、物理化学(宇宙の展開、一惑星としての地球)、生物圏(生物の営み)、風土(人間の営み)の段階でまったく質の異なる法則(秩序)が働き、それらが積みあがった結果として地理的事象が実現されている。
より上に位置する段階は、それより下の段階の限界を突破する形で発展した、より自由度の高い秩序が通用する領域である。

p.257 すべての現実について同じことが言える。この〈として〉が生まれること、それは風土エクメーネの展開の歴史であり、地理である。…この風土エクメーネの展開は原初的かつ本源的に、生物圏のうちに基礎をもつことを思い出しておきたい―生物圏が宇宙のうちに原初的かつ本源的に基礎をもつように。これらの層はどれも、上位の自由のひとつの〈度〉であり、大地からの世界の解放のひとつの段階であり、土性からの風性の解放、主語論理からの述語論理の解放のひとつの段階である。意味を展開することは、それをその根源から切断することではないし、ましてや無に基づいてそれを創設することではない。

だから重要なことは下の段階があるからこそより上の段階が成立する、という事実のみであり、下の段階がより上の段階を制限するようなことはありえない。
それでもなお、上の段階がそのように成立できるのはその下の段階に支えられているからこそである。

地理学が参照する近代の諸科学こそが、現実の事象はこのような層で区別できること、それぞれの層において異なる法則が働いていることを解き明かしてくれた。
ベルク氏はそのような段階それぞれのことを本書で「尺度」と表現し、それを「濾過機とは反対の性質のもの」(p.266)と表現した。
本書以前にベルク氏が上梓した著作『地球と存在の哲学』(ちくま新書、1996)や『風土としての地球』(筑摩書房、1994)では、もっとわかりやすく「ふるい」にたとえてもいる。

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