地理学者が哲学に目覚めたら最強だった説

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

10 人間の発揮する自由は生の次元からさらなる高次元へ向かう -1

人間が他人と共に外に体をもとうとする理由

人間と物をそれぞれ方向づける意味=おもむきは、ある社会の文明(「風土」)の次元(本書の用語では尺度)だけで展開するのではなく、それを下支えする次元すべてを含む多層において展開している。

p.227 象徴性がもたらすのは、それ以前と同じ尺度では計れないほど自由な意味=おもむきを作り出す能力である。しかしこれが意味=おもむきを作り出すのではない。歴史というアリアドネの糸によって、そしてわたしたちのだれもがもつ動物身体によって、この能力は宇宙の端緒という計りがたいほどの暗闇から、原初的にそして本源的に、これを受け取るのである。

以前にも述べた上図のような流れで、人間は生来の動物身体の他にわざわざ文明という風物身体をもつ。
たとえばかつての日本の場合、その世間は村落等の共同体(のメンバー全員)の風物身体の総体だった。
人間がそのような第二の身体をもつようになった理由は、ざっくりいうと人間レベルより下位の生態系レベルの法則、すなわち弱肉強食の法則にとらわれることなく自分(たち)の命を保つためだ。

p.177 風土エクメーネの進化は人間の象徴的および技術的な装置の発展の推進だけによるものとなったようだ。この発展が、民族の混淆を促進し、もっとも弱いものの排除を抑制する。こうして種の進化の二つの主要な原理、すなわち孤立化と有能なものの選択という原理が中和されることとなったが、これは重要な出来事である。
p.257 この風土エクメーネの展開は原初的かつ本源的に、生物圏のうちに基礎をもつことを思い出しておきたい ― 生物圏が宇宙のうちに原初的かつ本源的に基礎をもつように。これらの層はどれも、上位の自由のひとつの〈度〉であり、大地からの世界の解放のひとつの段階であり、土性からの風性の解放、主語論理からの述語論理の解放のひとつの段階である。

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人間は生態系の頂点に立っているが、個人の才覚でその地位を守っているわけではない。

人は個人的な体に加えて集団的な体をもって、他の生物(生態系の上位に来る肉食獣や微生物など)よりも上位に立とうとした。
別の言い方をすれば、人はその脳の発達ゆえに新しい種類の自由を許されたともいえる。

世間のような文明様式は、独自(たとえばお互い様の精神のような暗黙のものから明文化されたものまで様々)のルールの元で運営される。
そのようなルールの下で運営された共同体は、人間個人/集団に以前はかなえ難かった可能性の実現を許し、共同体のメンバーはその実現をまた踏み台にして新たな可能性を発見し追求していった。
つまり文明のルールとは本来すべて、人間が人間自身を含む生物全般のルール(物理・生態系レベル)から自由になることを目指して他人と物と共同して作り守ってきたものだ。
人間は他の生物と異なり己の死を恐れるゆえに、新たなルールに従ってでもより大きく強い体をもとうとしたともいえるだろうか。
そしてまた人間は他の生物と異なり己の生に不思議を感じるゆえに、他人と共に環境へその理由を求めた。

断っておくが、以上はベルク氏が倫理的な観点から主張したところではなく、ベルク氏が和辻著『風土』から得たヒントを元に前出の人類学者ルロワ=グーラン他の学者が立てた諸学説を参照し、それらの学術的見地から述べたところである。