地理学者が哲学に目覚めたら最強だった説

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

11 人間の発揮する自由は生の次元からさらなる高次元へ向かう -2

自由にふるまう身体と「風土」の原則

人間が定めるルールの類は、定められた時から例外の発生や状況の変化により変化を始める。
その変化は、ルールが本来定められた目的を理解している限りで、本来の目的に沿って進行するだろう。
「何のためにルールを守らないといけないか、だからどうすればいいか/どうしてはいけないか」
同様のことが、ルールの規制対象となる人間の自由の発現様式の変化にもいえる。

そして人間の風物身体の本来の目的は結局、共同体のメンバー個人ごとの生の肯定である。
「友だちはいいもんだ」という歌の歌詞(ここに記したらJASRACに届け出なきゃいけないので、各自思い出して☆)に近い内容である。
もしも前述のとおり「風土性が人間性の原点である」ならば、だが。
その姿勢は様々な文明において格言(例:情けは人の為ならず)や風習といった形で人類に共有されてきたが、風土学のような学術的視点から論じられたことはかつてなかった。

各共同体の歴史の中でこの本来の目的はしばしば忘れられまた思い出されしつつ、共同体独自のルールは共同体を内側から束ね続けた。
外発的/内発的な状況の変化に対応して共同体のルールには再解釈が重ねられ、共同体自体も栄枯盛衰した。
そして西洋において近代化が始まり、人間性から発生していたルールに代わる個人主義・合理主義・資本主義 等々が世界中の集団に、ある場では濃く別の場では比較的薄く、広まっていった。
また個人ごとの人間性から起こされる行動も、その原点(風土性)が意識される機会はあったりなかったりである。
人間個人ごとの人間性とそれを束ねる文明のルールの双方が今日まで紆余曲折を経てきた上で、総体として今日のような諸文明を築き維持するに至っている。

しかし僕たちの風物身体「風土」はいつの時代もどんな状況でも「自分たち」の命を支える森羅万象に連なりながら、(無意識に)自分と仲間を共に生かすものとして、、、発生している。
ベルク氏は、だからこそすべての事物の象徴的・技術的な(精神的・機能的な)意味はそれを下支えする「生のおもむき」を肯定しているべきだ、「生のおもむき」を無視したり否定している意味は間違っている、人間は自分(たち)の「生のおもむき」を自覚して行動すべきだ、と主張する。

生命の原則

そのおもむきには、自然の原則が適用される。

p.367 生のおもむきとは、偶然的な破壊を除くと、多様性に向かうものだ

実際に非常に広い幅をもつ人間性の根幹にはこのような原則があるとベルク氏は考えた。
多様性への指向は生態系の尺度だけでなく、人文地理学の尺度つまり文明の尺度でも否定し難い原則である。
世の中には実にいろいろな人がいるが、自分も文明を共にする仲間もみな共に生きようとするのが人間本来の生き方なのだとベルク氏は主張する。
たとえそこに社会悪が含まれていようとも。

人文地理学は世界で起きるあらゆる事象を俯瞰して説明しようとする。
対象となる事象を物理、生態系、文明等の複数の尺度にわたり分析して構造化するが、そこにいかなる省略も例外事項も認める余地をもたない学問、それが地理学である。

この世界の多様性は煩雑極まりないが、その構造が正しく理解できれば、どの事象もみな人間にとって受容し得る形をとっているのではないだろうか。
ベルク氏はその構造を、この人文地理学に基礎の半分を置く風土学という視点から解き明かそうとしている。