地理学者が哲学に目覚めたら最強だった説

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

3 彼岸の力を味方に取り戻さんとする衝動 -1

僕は前向きな信仰をもっていない

ベルク氏は、人間は時代と地域にかかわらず、宇宙化(森羅万象や神の力に触れること)を求める生き物だという。
その姿勢は、人間の信仰を想起させる。
しかし僕は、神も仏も信じていない。
たとえば神話の語ることが、僕が日頃お世話になっている科学的技術・知識と絶対に相容れないから、どうしてもそれらを心からは信じられないのだ。
日本列島が現在のような形である理由を僕はプレートテクトニクスに求めるから、イザナギイザナミの共同作業のおかげだとは素直に思えない。
僕はプレートテクトニクスを信じているから、遅かれ早かれ起こる大地震を神や仏に祈ってどうにかしてもらおうなんて気持ちになれない。
ただ神や仏を粗末に扱ったら万が一祟りがあった時などに後悔しそうだから、持ち物に保険をかけるような気持ちで行事の折には寺社仏閣へ参拝したりすることもある。
でもうっかり忘れることもあるし、その失敗(?)が気になって後から挽回すべく何かしたりもしない。

信仰がないのは、僕が生活において特に困っていないせいかもしれない。
もしも現在の医療では治せない重い病にかかったり、また自分でなく身内にそのようなことが起こったら、僕は神や仏を信じてすがろうとするかもしれない。
しかしこのような後ろ向きな姿勢は、はっきり言って神や仏を信じているという範疇には入らないと思う。
そもそも存在すると本気で思えないものと、自分の時間や財を捧げて通じ合おうという姿勢はとれない。

もし宇宙化が時代や個人のおかれた状況に左右されない本質的な人間の性質(風土性の要素)ならば、僕は信仰とは違う形で常にそれをまわりの事物や自分自身に求めているはずである。

今日の日本では微生物が神仏の代役を果たしているのではないか

僕の思い当たった別の例をあげよう。
本書に出会ってしばらくたってから、僕は自分と自分のまわりの人たちの気持ちが自発的に、今までにない方向へ向かって動いていることを感じるようになった。
そういう人たちの大半は、僕と同じように特別大きな問題を抱えずけっこう満ち足りた生活を送っているように見えた。
やがてその動きは日本中に波及し、うねりを増していくさまが観察できるようになった。
その人たちの一部は、僕たちの先祖が神仏を祀っていたのと一見よく似た行動をとるようになった。

それは、一般的に菌または微生物と呼ばれる生物群の働きを良くも悪くも信じ、自分たちの生活(風物身体)や体内(動物身体)へとり入れたいと願う気持ちと行動である。