地理学者が哲学に目覚めたら最強だった説

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

1 人それぞれの風土学(ある地理学者の場合) -1

風土学の実践例

本書には風土学から見た過去の出来事の実例が数多く登場する。
しかし、風土学の視点で現状を見て考え行動するという風土学の実践例は、ベルク氏本人による1つだけしか登場しない。

『風土学序説』第八章 市民体シテ

本書の序から七章を費やして自説の理論を解説してきたベルク氏は最後の章で、実例において自説の有効性を示そうとする。
舞台はベルク氏のホームグラウンドである地中海周辺地域、テーマは風景という観点から見たその地域の都市と田園の望ましいあり方について、である。
なぜその地域について、そしてなぜ風景を構成する地理的構築物を選んで論じるのか。

p.375 近代の二元論とは逆に、風土性の観点からの理想的な方法は、わたしたちの生を抽象するのではなく、わたしたちの生から出発して厳密に考える、、、、、、、、、、、、、、、、、、、ということだ。少なくともわたしたちはまだ死体ではないのだから、これはもっとも真なる論理なのだ。

―しかしそれを目的とするならば、なぜ他の市民体シテではなく、地中海の市民体シテを取り上げる根拠があるのか。世界でもっとも多くの人が住む場所、たとえば東アジアを取り上げてはどうだろうか。

―理由は簡単だ。自分の生まれた場所に連なっていなければ、わたしはもっとも厳密に考えることができないからだ。地中海の地で、まず大洋の側で(他の大洋ではなく、まさにこの大西洋で)、次にアトラス山脈で、それから海(エル・バーハル)と呼ばれるナイル河畔でという順に生まれ育ってきたのが、わたしの生涯だったからだ。ヘロドトスはその優美な古代イオニア方言で(ヘロドトスが生まれたのはハリカルナッソス、現在はトルコのボドルムだ)、ナイルがアジアとリビアを分かつ(hourizei ten Asien tes Libues)と語っている。この分かつ境を越えてきたとしても、わたしの生涯は普遍性の基準を満たさないのはたしかだ。しかしわたしが語っているこの市民体シテは、近代の黄昏たそがれの時点でもまだわたしたちを動機づけているさまざまな理想を、豊かに育んできたことを指摘して、弁明としたい。

中盤以降の詩的な表現に目がくらみそうだが、つまりベルク氏は、人間の風土性は人類史上普遍的な構造であるが、その発現の内実は一人ひとり異なるゆえに無限に多様であることを自らにおいて認め、証明しようとしている。
ちなみに僕が拙ブログの話題を日本(人)に関することに絞った理由も、上に同じである。

市民体シテとは共同体の絆を表現する地理的構築物である

僕は上でこの章のテーマを「風景という観点から見た地中海周辺地域の都市と田園の望ましいあり方」と述べたが、ベルク氏はそのような建造物(たとえば建物や橋など)ラテン語ギリシア語に語源をもつ「市民体シテ」という語で表した。

p.376 シテ(cite)という語はキウィタス(civitas)からきたもので、最初は「市民の全体」を意味した。
p.377 市民体シテの存在の焦点は、市民(キウィス)の質、正確には同国人の質である(同国人という用語は、共同の絆の相互性を示す)。

人間同士の絆は、直接は目に見えない
親子も親戚も民族も本質は関係であるから、小さすぎて見えない微生物とはまったく異なる理由で、それそのものは決して人間に直接知覚できない。
前近代の共同体は個人が認識する様々な絆の感覚を文化的な装置を用いて可視化し、強化しながら共有していた。
それを分解し亡きものにした近代を乗り越え新たな時代の方向性を示すべく、ベルク氏はその装置に新たな名をつけて自身の立てた理論の元に再構築しようとする。

ベルク氏は古代ローマ人の言葉を引用して言う。

p.377 同国の男女の風物身体、それが彼らのキウィタスである。これは象徴的なシステムであるとともに、人間たちの集まりであり、物質的な特徴をそなえた領土でもある。
p.378 これらの男女の存在は、市民体シテの〈地文〉である町(astu)、畑(agroi)、国境(eschatiai)で表現される。それだけではなく、これはその〈地文〉そのものなのである。これはキウィタスとして存在するからだ。問題となるのは人間の実存であるが、このことを指摘するために、これまで地理学は存在論であり、存在論は地理学であることを確認してきたのである。

「地理学は存在論であり、存在論は地理学である」つまり両学問はあらゆるものの存在意義が問われる場である。
その問いは、環境と人間の関係上で地理的対象として常に発生している、というか人の発する問いと認識すなわちその関係である。
これこそ本書でベルク氏が言いたかったことである。
人間一人ひとりと地理学が対象として扱うような事物とは、その存在意義を人間の実存という関係の構成要素として同時に問われるべきである、たとえばそれがそこにあることはあなたとその場にとってふさわしいことなのかと問われるべきだと。

本書の第八章は、風土学の実践の一例(たとえば人文地理学者の場合)である

と僕は思う。
本書の読者は、上の引用文の後に続くベルク氏の主張を読んで、風土学とは地理学的の視点からとらえられる(風景を構成するような)事物のみに妥当する理論であったのかと思うかもしれない。
でもそれは誤解であると僕は言いたい。
ベルク氏が地域を特徴づける建造物を風土性の具体例として選んだ理由は、地中海地方を選んだ理由のようには明示されていないが、こちらも同種の理由によると考えられる。
上で引用したとおり、人間は自分の生まれた場所に、そして「生涯」を過ごす場所に連なっていなければ厳密に考えることはできないことをベルク氏は自覚していたはずだからである。

ある人の風物身体には、その人の世界観に含まれるものすべてのうち、自分の動物身体(文明化される以前の心身)を除く他すべてのものが該当する。
市民体シテが第八章の主題となったのはベルク氏(の本性たる心身)が宇宙化した風物身体が地中海地方のそれであったためであり、それがベルク氏の風物身体の全貌ではないし、それが風土学の唯一の主題であるはずもないと思う。
ベルク氏は元来哲学者ではなく特に景観や都市のあり方を専門的に研究している人文地理学者であり、何を置いてもその研究対象のことを深く考えているから、それを例に採ったのだ。
だから風土学は誰が何をする際にも自分と自分のいる場において実践できるし、そうすることが現在の日本社会では強く求められていると思う。

p.374 風土性とは、わたしたちの社会の計画(わたしたちの風物身体で描かれる絵画)が生まれる腐植土であるだけではない。わたしたちが計画したものに世界を、すなわち焦点、場、最後の目的を与えることで、これを活気づけ、これを構造化するものだ。この原初の隠喩は、原型的な市民体シテの風景のうちに、その町(astu)と田舎(chora)と国境(eschatiai)のうちに見られる。そこにおいて、この風景の母型のうちで、存在論はほんらいの意味で地理学となり、地理学は存在論となる。最後の章ではこの市民体シテを現在の言葉で語りたい。そうすることでは、風土性の理想に動かされて、風土性の視点からみるときは、現代の重要な問題をどのような時間の長さで考えなければならないかが、明らかになるだろう。風土性の理想とは、大地の拡がりと人間の社会の関係の調和に達するということなのだ。