地理学者が哲学に目覚めたら最強だったんじゃないか

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

4 社会の「風土」をもし可視化したら -2

分業社会と人間力

僕は拙ブログで『風土学序説』の内容を歪めず拡大解釈もせず紹介する所存である。
しかし、ベルク氏の態度について、一言もの申したいことがある。

p.332 だれもが同じように、風物身体のすべての側面にかかわるわけではない。たとえばわたしと、パスファインダーやソジャーナーを遠隔操作するエンジニアたちとでは、火星の小石に対するかかわり方は異なる。わたしにはわたしの小さな世界があり、エンジニアたちにはかれらの小さな世界がある(規模としてははるかに大きいが)。

ベルク氏が「小さな世界」というとおり、人間がもつ世界観はみな客観的な大文字の世界未満であると思う。
人によるその世界観の大小について、ベルク氏は上のように、エンジニアならわたしより「規模としてははるかに大きい」という程度のことしか言及していない。
つまり人間が主体的かつ客観的に自分の世界に対して発揮しうる力、つまり現実的なポテンシャルの個人差についてはほとんど言及していない((必ずしも主体的ではない)近代的な姿勢のエンジニアの発揮する力の客観的な効力については言及している)。
しかし僕はそちらの個人差はこの大文字の世界のあり様を左右する問題だと思う。
風土エクメーネの将来へ向けた方向性を具体的に示すためにこちらもぜひ取り上げてほしかったが、それに類する発言は上の引用の部分に限られていると思う。
もしかすると、それを取り上げることはさすがに一地理学者の手に余ったのかもしれない。

哲学的な話、つまり人間の現実に関する話をするのに、最も論理的な姿勢を保てるのは学者かもしれないが、最も説得力のある話をできるのはきっと学者ではない人だと僕は思う。
僕個人の意見としては、それを一番深く広く語れる人には何らかの実務に携わるプロフェッショナルを推したい。
でもその意見は僕の会社員としての自負からであって、別に定職についていなくても、一番にこだわらなければ誰にだってそれは可能であるはずだ。

人間の半身である風物身体はその人の世界観全体に及ぶ。
近代の前後を問わず、人間の全身はその動物身体をはるかに上回って広がっている。
そのように人間はみな先人から受け継いだ巨体も同然の文明をもつゆえに、自分たちが属する生態系の頂点に立ち得るほど強力なのである。
そして近代化とそれに続く分業化の促進、専門ごとの技術発達により、人間は各々特定の分野において、前近代とは比べものにならないほど強い力をもち、平均寿命をさらに伸ばすようになった。
その専門的な力はもちろん単体では本人を生かすのに役立たない。
たとえば経済社会において発揮されることで共同体を生かし、貨幣という対価を得ることによって本人を人間として生かすのに役立つのである。
そのような活動も、前述した実存に含まれる。
人間が各々何かにおいて実存(しようと)することを、ベルク氏は「天に向かう」と表現する。

p.292 天に向かって身を起こすのは、〈直立二足類〉の人間に固有のことだが、人間の動物身体の外面化が、その時点での文明の度合いに可能な範囲で、高さを誇る技術と象徴のシステムを作り出したと考えられている。…タワーというものは、バベルの塔にせよ、ほかの塔にせよ、わたしたちの天への〈手掛かり〉であり、わたしが天とかかわることを保証してくれるものだ。
p.419 近代の合理主義は天からその聖性を奪ったが、なにも変わりはない。

近代思想は人間のエゴイズムを解放して「天上界を大地の上に君臨させ」(p.419)ようと、つまり個人に創造主のようにふるまうことを許そうと試みたが、本書によるとまた僕らの実感の上でも、どうやらその試みは失敗に終わりそうである。

本記事ではいずれ、人間と人間の「風土」を図で示したいと考えている。
(自分では作図できなかったため未掲)
文明の発達は人間による物の本性の理解や技術の深化としてとらえることができ、その強さを人と物のつながりの濃淡で表すことも可能かもしれない。
おもむきとは高められるというよりも深められるものである。
しかし僕らの風物身体は、先祖の風物身体の積み重ねの上にさらに重なるものでもある。
人間は、ベルク氏が大地と呼ぶありのままの環境から世代をまたいで風物身体において成長し、天という決して手に入れられない聖性を目指す、というイメージもやはり一理ある。

人間はどれほど強力になろうと己が属する大地のルールから逃れることはできず、その下でうごめく森羅万象に端を発する善悪無用の現象に依って生きている。
僕らは運命に産み落とされた一個の生物であると同時に、一人の人間として自分たちを生かしたり死なせたりする運命に仲間と共に立ち向かうような姿勢で生きている。
その姿勢の積み重ねに依って今日たとえば、人によっては重機を使って100人日分の仕事を1人で1日でこなすことができる。
またたとえば、小学生が自分の関心事について辞典1冊分に匹敵するような知識をもって大人をうならせるような活動に取り組んでいたりもする。
そのように、人間一人ひとりの行使できる潜在能力には個人差、いや個体差がある。