地理学者が哲学に目覚めたら最強だったんじゃないか

オギュスタン・ベルク著『風土学序説』を紹介します。

7 自由な行動の現実的な限界 -2

同じことを成しても、リスクを問題視して(=その場における責任感をもって)するのとそうしないでするのでは、それを行う(結果ではなく)意義に天と地ほどの開きが出る

何事も当たり前には実現しないととらえ常にリスクを意識し続けるのは、ストレスフルな生き方である。
けれどそのストレスは、決してそれを感じる人本来の人間性には逆らっていない。
リスクの発生もそれを警戒する態度も自然なことだから、(たとえ嫌でもあきらめて)意識し実践しようというのもまた、前記事で挙げた諸々の工程管理手法と本書の姿勢が同じくしている点だと思う。
風土学の視点では、成しがたさを意識しながら何かを成すことでそのリスクを受け止めやすくなるだけではなく、本人自身にとってもそれを行う意義が発生し、前述の実存を促す。

ところで組織に置いて日本人が工程管理に取り組む姿勢は、「取引上要求されるから(しかたなく)」というように、その組織独自の目標達成等の姿勢に比べてずっと消極的なように見える。
日本でISO認証や製品試験、JIS認証、製品安全評価、環境に関する審査などを実施している日本品質保証機構は、その公式サイトで「ISOの基礎知識」として(日本で)マネジメントシステム認証制度が普及した背景を以下のように述べている。

日本の企業にとっては、ISO 9001の認証を取得していると欧米に製品を輸出する際に相手の信頼を得られるというメリットがあり、多くの企業が認証を取得するようになりました。やがて日本の製品の品質が向上すると、単に輸出のためだけではなく、国内の顧客の信頼を得たり、社内における仕事の活性化を図ったりするためにも使われるようになりました。こうして、マネジメントシステム認証制度は社会的な仕組みとして定着していったのです。

しかし大多数の日本人の認識は実際のところ引用の1文めの段階にとどまり、2文め以降の段階にはまだ至っていないのではないだろうか。
その一例として、2018年1月に起きた晴れ着屋の一方的な営業停止と仮想通貨の流出という2つの事件において、それぞれの事業の責任者の謝罪会見が日本中から批判を集めたことを挙げたい。
「聞く側にとって誠意がまったく感じられない」彼らの姿勢の問題の根幹は、彼らの実業家という地位に比して彼らの現実とそれがはらむリスクに対する認識が甘すぎたこと、それに先だつ彼ら自身の実存の不足によるところだ。
そして彼らの興した事業は、いかなる管理規格の認証も取得していないという事実により、事業の継続中から取引先を含む他者全員に対してその姿勢を示していた
その事実はまた、彼らが自分の事業内において立てた目標に比して事業外に存在するリスクの見積もりを軽視していた、またはリスクの発生を自分に制御できるものだとみなしていたという、彼らの世界観の近代性を表している。
僕ははれの日の謝罪会見の中継放送をAbema TVで見ていたのだが、番組内で会見を見ていた被害者が感想を問われ、「自分はこんな(無責任な)人に(仕事を)依頼してしまったのかと思う」と口にし、まわりの出演者がそれを聞いてうなずいているのを見て思った。
僕ら日本人の多くの人は、世の中に存在する管理規格認証制度の示していることもそれらの存在意義も、そもそも今日それらがなぜ必要とされるようになり様々な企業が運用するようになったかという歴史的経緯も、実際のところまだよく知らないと。
認証制度を実践している人や企業は、自分たちの商品やサービスにその印を掲げて自分たちの姿勢を示しているけれど、僕らはその印の意味も、その印を掲げる彼らがあえて何をどう努力しているのかも全然理解していないと思う。
ひょっとすると、認証を取得している企業に勤めている本人でさえも。
つまりまだ「マネジメントシステム認証制度は社会的な仕組みとして定着して」いないから、あのような謝罪会見がまかり通り、批判を集め、また忘れられるというループから日本人は抜け出せないのではないだろうか。
そしてそれは、そもそも人々にそのような認証制度の必要性を認めさせた合理主義やそれを支える近代思想の理解が部分的なために、日本人にはそのような認証制度を心から必要だと感じられないからではないだろうか。
他国では、一次産業から三次産業まで何らかの事業に携わる人の多くが、そのような規範を積極的に理解しコストをかけても実践しようとしている。
彼らに比べどんな凄惨な事件でも他人事である限りは風化させやすい日本人は、自分に甘いとか自信過剰というよりも、マイナスの価値を帯びた物事を自分事として受けとめることを拒否し過ぎていやしないだろうか。
そしてまた、日本人はその社会的な姿勢に表れているように、近代思想とそれが成立した歴史をごく表面的にしか理解できていないのではないか。
どんなに他の成功例を増幅して共有しても、起きた失敗を埋め合わせることは金銭面など限られた分野でしかかなわなくて、大抵の物事にはどうしても水には流せない面も存在することを僕たちはそろそろ認めた方がいいと思う。
例に挙げた2人の実業家は、自分の責務の意識が希薄だったせいで主体的活動(事業)に失敗したばかりでなく、事業の関係者の人間性を傷つけた。
自身の責務を(すなわち自身の行為のおもむきとそれを実現する場のおもむきの合致を)意識した行為であれば、たとえリスクの発現等により失敗に終わったとしても、あのように関係者を傷つけはしなかったはずである。

ちなみに僕の勤め先もこの種の取り組みに消極的で、上の文章は自分への戒め半分の気持ちで書いている。
リスクの洗い出しや工程管理みたいな面倒くさいことは、理屈だけわかってもやり甲斐が感じられないと続け難い。
より多くの人が認証制度に取り組むような組織を支持することが、この種の制度の普及とそれらが目指す「顧客の信頼を得たり、社内における仕事の活性化を図ったりする」ような組織の隆盛に何より役立つと思う。